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漫才初舞台と解散について

序文

 初めて漫才で舞台に立ってみたので、それについて書く。なお、ここに出てくる「ハイパートラベル」というコンビは先日解散した。実に一か月半ほどの活動期間であり、実際に舞台に立ったのはたった一回である。解散の理由等も備忘録がてら後で書いておこうと思う。


「ハイパートラベル」とは

 まずはそもそもどんなコンビだったのかを紹介したい。
 こちらのnoteにまとめてある通り、私はYCAというスタッフの養成学校に通っていたが、NSCという芸人を養成する学校のほうには通っていない。相方も同じくYCA出身の作家志望であり、どちらも芸人としての「いろは」を全く知らない状態でスタートした。なお未だに知らない。
 コンビを組んだきっかけはYCAの授業だった。YCA生が書いたネタ台本をNSC生が実演し、最終的にネタバトルを行って順位を決める、という内容。手ごたえはあると思っていたのだが順位が思うように振るわず、内心悔しすぎて誰も打ち上げに誘えないままぶらぶら帰っていた相手が後の相方だった。コメダ珈琲店であみ焼きチキンホットサンドをかっ食らいながら散々悔しがっていたところに「M-1とかTHE Wとか出てみない?」という誘いを受けて了承し、後に再確認を経てコンビを組んだ。今年の三月からのことである。コンビ名は後に「みんなが好きなもの→旅(トラベル)」+「なんかいい語感でプラスのもの→ハイパー」でつけた。
 ネタは組む前から書いていたが、コントが全くと言っていいほど思いつかなかったので漫才ばかりストックされていた。コンビを組んでやっていこうとなった時にはすでにその状態だったので、KOCに関しては一旦見送るとしてのんびりM-1目指そうか、というスタンスで始動。組むことが決まってから漫才を一本書き下ろして、更に解散当日にも一本書き下ろした。
 ということで、端的に言えば女性漫才コンビである。

コンビを組んだ理由

 コンビを組まないかという誘いを了承した理由はいくつかあるが、基本的には「実際にネタをやってみないと分からないことについて知りたい」というのが一番のモチベーションだった。
 そもそもお笑いファンなので劇場に足を運んだことは何度もあるし、前述の通りネタ台本も書いたことがある。生徒会選挙の候補者応援演説や口述研究発表などで「既定の時間内で舞台上で喋る」こと自体も経験済みだ。だが、ネタをやったことはない。板の上で何をやり、何が起こって、何が返ってくるのか、というところは結局実際にやってみなければ分からないわけで、それを実地で体験してみたいと思った。

 この思いに至る直接のきっかけは二つあった。
 ひとつは、何人かの先達に「いい作家になるために(いいネタを書くために)何をすればいいか」と聞いたところ、多く出てきた意見が「とにかくいっぱい見る」と「実際にやってみる」だったこと。であればやってみない手はない。
 そしてもうひとつが、件のYCAの授業で自分が書いたネタを実演してもらった際、想定したポイントで笑いが起こらず、逆に全く想定していないところで笑いが起きたこと。これは未だになんでそうなったのかはっきり分からない。本当に分からないし、分からな過ぎて具体的にどう違ったのかは記憶にないが、とにかく自分の想定と全く違うリアクションが返ってきたという衝撃は強く残っている。これだけは授業が終わってからもずっと引っかかっていて、実際に漫才をやってみれば何が起きていたのか分かるかもしれない、と思った。
(とはいえ、今台本として見返してみると、文面でもテンポが悪かったり、笑いと笑いの間隔が空いている感じがしたりと大いに改善の余地ありな仕上がりなので、ウケなかったことに関してはさもありなんである。やってくださった演者さんには大変申し訳ないけれど、逆に言うと授業を通して如何に成長したかという証とも言える。)

 ちなみに、他の相方と組む可能性はなかったのかというと、これはこれであった。勿論社交辞令レベルだった可能性もあるが、「一緒にM-1出てみようよ」という話は何人かから来ていたので、そちらと組む選択肢もあった。が、その中で本当に具体的に話を持ってきたのがひとりだったので、即決で組んだ次第である。こういうのは巡りあわせだと思っているし、私という人間を求めてもらえたのならそれには応じたいと思ったので迷わなかった。
(他に誰とその話をしたのか思い出せなかったというのもある。適当に会話し過ぎである。)

本番への道のり

 時系列を確認してみたところ、どうやら4月4日に一本目の初稿が上がっている。そこからは週に一回ネタ合わせ日を設け、大体2時間から3時間程度のネタ合わせをしていたらしい。4月末辺りに本番が5月15日に確定してからは少し回数を増やしたが、とはいえ多くて週に2回。これもかなりの時間雑談していたのと、途中からstand.fmのまとめ録りなどをしていたので、ネタ合わせをしていたのは実質30分から1時間程度だと思う。
 本番直前の調整も込みでおおよそ8回ほどあったので、ひとネタ仕上げるのに1か月半、6~8時間ほどかけたことになる。恐らく相当丁寧にやった方なのではないかと思う(が、比較対象がないのでなんとも言えない)。

 手順としては、まず相方に台本を共有して目を通してもらい、意図が伝わっていなそうな点を確認。読み合わせして不自然なところを修正し、実際に立ちでやってみて尺を確認。録画したものを持ち帰って間の取り方や身振りの不自然なところを確認して次回修正。やりながら「ここでこういうことができるな」と思ったら随時追加してみて、よければ採用ダメなら不採用で変更していく。これを繰り返した。
 衣装についての打ち合わせはなかったが、相方がどうも「ノーメイク・革のライダース」で来そうな気配は出していたので、差別化も込みでかっちりした黒スーツと革靴を選択した。メイクの習慣がなかったので一週間前くらいに道具をまとめ買いしたのもいい思い出だ。未だ右も左も分からないが、パッケージの説明とインターネットの情報、大昔にバレエやダンスで舞台に上がった時のおぼろげな記憶でどうにかそれらしくした。顔面の仕上がりがどうだったかは不明だが、少なくともこれから舞台に上がるという気持ち作りの面ではそれなりに役に立った。メイクは武装である。
 ちなみに、髪に赤のメッシュが入っているので「ジャケットの中に同系統の赤のタートルネックを着る」という案もあったのだが、よく考えたら完全に入間国際宣言の千葉ゴウさんスタイルになってしまうことに気付いて無難に白シャツとし、代わりに真っ赤な靴下を履いた。これもまた武装としての効果が高かった。

何らかの豆知識①
 比較的足のサイズの大きい人(23以上の人)に限るが、単色の靴下はユニクロのメンズソックスにめっちゃある。サイトで見るよりもビビッドな色合いなので、入用の場合は参考にしてほしい。

ネタの難しさ

 練習をしていて特に難しいなと感じたのが、台本の内容を正確に共有することと、見ている人に向けてネタをやることの二点だった。

困難その1:内容の正確な共有

 一点目の共有の難しさというのは漢字が読めないとかそういう話ではなく、ニュアンスの部分を正確に伝えるためには台本外の説明が要るということだ。例えば以下のやりとりがあったとする。

 ①「最高のミルクティーの作り方教えます」
 ②「いいですね」
 ③「まず紅茶と蜂蜜は1対1」
 ④「そんなに?」
 ⑤「この蜂蜜紅茶としょうがが1対5」
 ⑥「そんなに?」

 ここにおいて、④と⑥は台本上同じ文字列だけれど、ニュアンスは異なる。前者は「そんなに入れるんだね」という受容の反応で、驚きこそあれ、まだあり得るものとして1対1を捉えている。なので言わば「へぇ意外だな」の「そんなに?」といったところ。後者は「どう考えてもそんなに入れるわけないだろ」という反発の反応で、1対5は絶対にないものとして捉えられている。言わば「こいつやってんな」の「そんなに?」である。というように、書いている本人の中にはニュアンスがあるものでも、文字列に落とし込んでしまうと情報が削がれる。一応「そんなに?」「そんなにぃ!?」のような書き分けもできるが、これだけで十分に伝わるとは言い難い。
 同じようにそぎ落とされてしまう情報は他にもある。例えば声の強弱。③の「1対1」の後ろの「1」と、⑤の「1対5」の「5」の場合、前者はそこまで強調せずに読むが、後者はかなり強めに読む必要がある。同様に、台詞に込める感情も文面には残らない。③や⑤をプレゼンのように冷静に言うのか、相手への親切心で言うのか、最高の作り方を見つけた興奮のままに言うのかによって印象はかなり変わる。
 このように、台本として起こす前にあった「ネタのイメージ」のディテールをネタ合わせの過程で補っていく必要があり、これがなかなかに難しかった。そしてこのディテールを補った上で、相方の元々の喋り方や思考に合わせて言い回しや内容を修正して仕上げていくのもなかなか難しい作業だった。

何らかの豆知識②
 
JBのはちみつ紅茶を濃く出してミルクだけをたっぷり入れたミルクティーはマジでおいしい。このティーバッグははちみつの粉末が入っているので砂糖なしでも甘くなる。

困難その2:見ている人に向けてネタをやる

 これは自分たちのネタの映像を確認している時に痛感した。画面のこちら側にいる自分の視点だと、画面内で繰り広げられるネタが完全に他人事に感じられてしょうがない。例えばだけれど、フードコートで近くの席に座った知らない人々の会話くらいの距離感がある。放っておくと簡単に気が散るというか、かなり意識的に「聞きにいく」姿勢を持たないと内容が入ってこないような感じがあった。
 自分が客としてお笑いを見に行く時にも、見ていてこの感覚がある時とない時がある。無論こんなものはない方がいい。(そもそも大したクオリティの本を書けていないということは前提になるが、)どれだけいいネタを書いたとて、見ている方が意識的にネタに集中するのではなく、初めから自然と引き込まれて聞けるものにしなければ十全には面白がってもらえない。何を見せるかではなく、どう見せるかの領域のテクニックになるが、これが全く備わっていないと思った。ド素人のそれとはいえ、自分たちが上滑りしながら空虚なやり取りをしているだけの映像を見せられるのは結構つらいものがあった。明らかにそう見えるという事実自体も大いに凹まされるものがあった。

 どこで聞いたか忘れてしまったのだけど、ネタをやる時には「自分・相方・客席」の三角形を意識するみたいな話があった(ナイツ塙さんの『言い訳』とかだった気がする、間違いだったら申し訳ない)。
 私はそもそも他人と目をあわせたり近い距離にいたりすることが致命的に苦手なので、まずもって「自分・相方」の関係性を客席から見えるように表現するのが難しかった。近い距離で目を見て話せればひとまずはよいのだと思うが、そもそもサンパチ越しの物理的距離だけでも相当ストレスが発生するし、その距離で目を見ようとすると強烈にストレスがかかり感情が死ぬ。こうなると何故漫才をやろうと思ったんだという話だが、単純にかっこいいからである。かっこよくないですか? 漫才師という存在。ああなってみたかったんですよ。
 ということで、ネタ合わせの序盤はとにかく覚えることと台詞の修正を優先して行い、中盤に入ってからは個人的に「相方から離れない/目を見る」というコミュニケーションの基本のような訓練を行っていた。これで辛うじて目を見て喋れるようになったが、前述の通りそれだけではフードコート距離のやり取りになってしまう。ネタはお客さんに向かってやらねばならない。
 客席への関与という意味では、そもそも相方のほうを見られない間ずっと正面を向いていたので完全な没交渉ではなかった。ただ、やはりぼんやり眺めているだけだと意味がない。ということでいくらか試した結果、「相方に喋りかける時には客席にも聞かせる、客席に喋りかける時には相方にも聞かせる」みたいな意識でいると少しだけ雰囲気が変わった。変な表現になるが、相方と客席のお客さん全員が無線接続のレシーバーを持っていて、自分が話す時には「すべてのレシーバーに接続する」ことを心がける必要があるように思う。逆に、相方の話を聞く時には「お客さんのレシーバーと同じものを聞いている」必要がある。多分。これは恐らく基礎の基礎みたいな部分だし、コンビであるならこういう面を交互に担うみたいなこともできたはずで、それは本当に場数を踏んで体で覚えるものなのだと思う。

 この二点目を強烈に意識したのは、ちょうどこの時期に「THE SECOND」があったことも大きかった。M-1も勿論その側面がないとは言わないけれど、THE SECONDに揃う猛者たちの「客席を引きこむ力」は尋常ではない。本当に尋常ではない。芸歴ではなく「結成」16年以上という凄みがビリビリ来て最高に面白かった。
 勿論素人の見よう見まねで再現できるものではないということは分かっているけれど、それでも取り敢えず真似してみようと思って、ネタ合わせの終盤はこの要素の取り入れ方を模索した。模索したとは言ってもここで目を合わせようとかここで客席に言及してみようとか本当に「形から入る」方法だったし、やる度に台詞や間の取り方が変わったので相方には文句を言われたが、結果的にここで練習したことが本番での笑いに繋がったのでいい試みだったと思う。

「板の上」へ

 これらの困難と格闘しながら、いよいよ本番当日。着替えるのが面倒なのと、気候的にもちょうどよかったので家から衣装を着て出陣した。初めて自力でフルメイクをしたので崩れないか心配だったが、奇跡的にとんでもなくちょうどいい気温で助かった。会場近隣のカラオケに入ってひたすら通し練をし、集合時間の少し前に会場へ向かう。
 注意事項を聞き、エントリーフィーを支払い、後輩がひとり見に行きたいと言ってくれていたので(嬉しかったし大いに助かった)取り置きを申告し、楽屋を見に行く。開演まで一時間ほど暇だったが、特に行きたいところもなかったので楽屋でヒリついていた。どうやら客席や舞台に出てよかったらしいのだが、何も知らなかったのでずっとお茶を飲んでいた。ネタ合わせをしようかとも思ったが、私自身は特にネタを忘れそうなわけではなかったし、直前のネタ合わせでは二人ともクオリティのブレがなかったのでいいと判断した。取り敢えず雰囲気に慣れようと思った。MCの梵天さんにご挨拶し、初めて触るマイクスタンドの扱い方を確認する。
 ここで、そう言えばどっちが先に出るんだろう、などネタ以外の点で未定の事項があったことに気付き、ここで急遽確認する。私が一言目にトンチキなムーブをする予定だったので、その直前で冷静にスタンドの調整をするのも変だろうということで相方に少し早く出てやってもらうことにした。立ち位置は私が上手、相方が下手。下手入りハケなので若干すっきりしない形にはなるが、まあいいだろうという判断である。

 出順は後半ブロック4組目。これもどうやら客席の後ろで見てよかったらしいのだが、気付かず楽屋の鬼高い位置にあるモニターを見上げ続けていた。ほぼ天井にくっつく勢いの位置に小さなモニターがあって、それをひたすら眺める。結構楽しく見られたので、これはあまり緊張もなさそうだぞと思った(ここで相方の様子まで気が回っていないところを見ると恐らく全く緊張していなかったわけでもない)。出番前になり、直前の演者さんとすれ違って袖幕の後ろに待機する。
 出囃子が流れ、コンビ名のがなり。明転。何故か袖から出ようとしない相方にしびれを切らして先に飛び出し、先に出てしまった割に「どーもー!」を言い忘れたことに気付いたが今更どうにもならず、眩しすぎる照明にやはりメイクをして正解だったなとうっすら思い、あとはもう勢いだった。
 明らかに直前のネタ合わせと様子が違う相方の緊張をどう解消するか考えつつ、とはいえ尺は3分。下手なアドリブも入れられず、かといって当然咄嗟に上手い返しなどできようはずもなく、相方がすっ飛ばした箇所をどうにか目立たないように受け流してひとまずの目標を「完走」に切り替えた。最悪相方に完全フリーズされることまで考えたが(その場合は袖に押し込んで同じ内容を一人で喋って帰ろうと思った)、幸いにも2カ所ほど飛ばしただけで済んだ。
 うっすらとしか覚えていないが所々ウケもいただき、「ド素人の初回にしては悪くないのではないか?」という手応えで楽屋に戻る。完全暗転だったかどうか分からないが、煌々と明かりのつく中から急に暗転に入るととんでもなく視界が悪く、よろめくようにして戻った。迎えてくださった他の演者さんたちの会釈が染みた。

 この後随時帰ってよかったようなのだが、シンプルに全組見たかったのでまた楽屋でモニターを見上げた。エンディングで「告知等のある演者さんどうぞ」というかたちの声掛けがあった。特に告知はなかったが、相方が事前に梵天さんに声をかけていて(そもそも女性芸人が好きで、梵天さんとも懇意にしているらしい)平場も出てみたらという話があったらしく、残っていた演者さんも多くなかったのでそのまま出させてもらった。
 またこの平場というのがとんでもなく難しい。右も左も分からないまま、とにかく勝手に喋って帰ってきた、という感じだった。そもそも一緒に出ている演者さんが全員初対面だったので、人柄が分からない。誰が前に出る人で、誰がツッコミで、どういうくだりを持っていて、どのタイミングでどの手を打てばいいのか、それらがまあさっぱりである。普段見に行くライブの平場が如何に連係プレーで成り立っているかを痛感する。どこで聞いたか忘れてしまったけれど、「とにかく同期は大切に。どんどん同期ライブをやって平場をこなして、くだりや関係性を作っていった方がいい。そうすると先輩後輩とのライブでもそのまま武器として使える」という話があって、これもその通りなのだなと思った。
 梵天さんが丁寧に各組に振ってくださったので取り敢えず言葉を発することはできたけれど、果たして真っ当に喋ったかどうかは定かでない。これはこれで研究の余地大アリだなという印象だった。
 ありがたいことにお客様投票で2位をいただき、残っていらした演者さんと少しお話をさせていただいて、来てくれた後輩とも少し話をして撤収。居酒屋に行って軽く打ち上げをし、その足でカラオケに行ってラジオの収録をして帰った。

 以上が初舞台の日の記憶である。

解散について

 この幻の一回を残して「ハイパートラベル」は解散した。
 理由はいくつかあるのだけど、漫才の本番に際して私がしていったメイクに対する反応が大きい。反応としては「なんでメイクしてくるんだよ、普段メイクなんかしてこないじゃんか。可愛い子が隣にいると調子狂うよ」という、比較的ポジティブなベクトルのいじりではあったのだが、これが致命的に受け付けなかった。勿論本番前でピリピリしていたこともあるが、どうにも許しがたかった。
 私としては別に可愛くなりたかったわけではない。美人として客前に出たかったわけでもない。元々習っていたクラシックバレエの舞台メイクなどもそうであったように、メイクをすることで舞台上でも表情がよく見えるようになるだろう、その方が伝わりやすかろう、という配慮からそのようにした。もうひとつには前述の通り「武装」としての意味合いがある。気持ちとしてはお化粧・おめかしといった類ではなく、「もののけ姫」でイノシシたちが顔面に施していた泥のペイントに近い。あくまでも、「少しでもいい漫才をする」が私の目的だった。メイクひとつで少しでもウケが増えるならやってみよう、という思いである。停滞期に悩む人々が衣装や髪型で迷走する気持ちがよく分かる。
 このささやかな(と言いつつ地味に時間も金もかけた)舞台にかける努力が、女であるという要素が加わった瞬間に「可愛くしてきた」という評価になった。ふざけるなと思った。評価自体はメイクが致命的に失敗しているわけではないという証拠なのでその点ではありがたく受け取ってもよかったのだが、向こうも緊張のあまりかそればかりを何度も繰り返していたので次第に耐えられなくなり、最終的には根深い怒りになった。このスタンスを取る人間といっしょにネタをやることはできないかもしれないと思った。
 これにその他の要素が重なり、私の方から解散を切り出すことになった。

「女芸人」という概念

 一丁前にも程があるのだが、その評価を相方の口から聞いてみて、ああ「女芸人」になるというのはこういうことなのかもしれないな、とも思った。
 これはもう思想の話になるのだが、そもそも「女芸人」という言葉自体が大変キモいと私は思っている。「芸人」と呼べばよいではないか。例えば、「女性だからこそわかる女性コミュニティならではの変なところを取り上げるネタ」のようにその人独自の視点に性別が絡んできたり、「お笑いは幅広く見てるけど何となく女芸人が好きになる傾向にある」みたいなネタの好みの傾向はあったとしても、「女芸人がいい。女芸人ならなんでもいい」というように性別そのものに依拠しての評価が入ってくるのは不自然だろう。芸人ではなく女を見に来ているのでない限りそうはならないと思う。
 これはド偏見なので怒ってもらっていいのだけど、恐らく「女芸人」が好きなひとの一定の割合は「女」が好きなひとだと思う。アイドルや女優のように高嶺の花ではない、手が届いて親しみやすくてよく笑って、言い換えればこちらが多少図に乗ってもうまく受け取って笑いにして返してくれる「ちょうどいい」女、として女性の芸人を見ているのではないかという気がしてならない。
 過去にはDr.ハインリッヒさんがインタビューで言ってらしたり、もう解散されてしまったけれどハイツ友の会さんが解散理由として遠回しに残されたり、といったところに言語化されていた「女」の呪いみたいなものの片鱗をあの時受け取ったと思う。自分がどんな人間でも何を考えていても何故か真っ先に取り上げられてしまうことがある「女」という属性は、必ずと言っていいほどテンプレート化された「女」としての取り扱いを発動させる。芸人として売れたければ「そういう人気」も御すべき、という考え方は妥当だと思うけれど、少なくとも私は御免被る。

何らかの豆知識③
 あまり勝手にカテゴライズするのも適切ではないのだが、「女性だからこそわかる女性コミュニティならではの変なところを取り上げるネタ」で最初にめちゃくちゃ好きだと思ったのが
細いとメガネさんのこちらのネタなのでよかったら見てほしい。

おわりに

 以上、初めて舞台で漫才をやってみたことについて書いた。舞台に立つのはなかなかスリリングだけれど、想定したポイントでしっかり笑いが返ってきた瞬間に走る恍惚はなかなか他では味わえない、というのは確かである。お笑い楽しいぞ。
 現在NSCなどの養成所に在学してプロを目指している方は対象外になると思うが、他の方なら恐らく同じ手段でライブに出て板の上でネタをすることができるはずだ。ネタを選び、フリーライブにエントリーし、ネタを磨いて、当日劇場に行く。我々がお世話になったのは「ぶちぬき魂!プレーオフ」というライブだが、少なくとも東京近郊であればこれ以外にも似たような形態のライブはあると思うので、探して出てみるのもよいと思う。

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