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ep25 村境を越える街道(過去編)

十津川村中心部へアクセスする道(過去編)

 十津川村は山深く標高の高い場所に集落が点在します。道路が繋がる前、村から外部に出るには当然の事ながら歩いて移動する他ありません。集落は街道沿いに形成されます。その多くは限界集落、既に消滅している所もありますが、現在もその名残で住居が残っています。私が知る街道や村外へ抜ける道は少ないですが、代表的なものをご紹介します。

①小辺路(高野熊野街道)

 高野山から熊野本宮大社までを繋ぐ世界遺産の道です。最近は海外からのハイカーも多く、十津川温泉でよく見かけます。私も数回縦走した経験がありますが、大きな峠を何度も越える道です。地図上では、高野山から熊野本宮大社までほぼ真っ直ぐにルートされており、昔の人々はどうやってこの道を繋いだのだろうか?と不思議な気持ちになります。

②大峰奥駈道道

 吉野山から熊野本宮大社まで続く修験道の道で、小辺路と並び世界遺産に登録されています。荒々しい山域も有り、小辺路に比べると難易度が一気に高くなります。仏生ヶ岳から笠捨山までが村境の稜線となります。
奥駈道からは多くの枝道があるので、上北山村、下北山村、熊野川町などに抜けることが可能です。

🟦小辺路 🟩大峯奥駈道


③西熊野街道(十津川街道)

 現在の国道168号線の祖となった道。五條市から西吉野村、天辻峠を越え、大塔町より十津川温泉に至ります。西熊野街道の多くは風化しつつありますが、ここ最近村の有志が集まり、残っている西熊野街道の道普請を行っています。

この街道、全てを辿るのは大変ですが、現在の国道と対比しやすいので歴史を感じる道だと思われます。ご興味があればこちらのFacebookをフォローしてみて下さい。『西熊野街道再生プロジェクト』
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また、私の友人が、西熊野街道の一部を訪れ、道普請の様子を撮影しています。見応えのある動画ですので、ぜひご覧下さい。

動画はこちら


④旧龍神街道

 西熊野街道から分かれ、龍神村に続きます。街道沿いには学校も有り、龍神村との流通など、かなり多くの人々が往来したと思われます。出谷周辺は自動車が走れそうな幅の道が残っており、壊れた古い原動付き自転車も転がっています。地元の人によると、分解して持って上がった物で、昔はバイクでも走れた道だと言います。
龍神と上湯川は特に物流が多く山で栽培した椎茸を干して運んだと聞きます。また、龍神村から嫁いで来た人や、親族が多いのもその影響かも知れません。

旧龍神街道は山姥の話や、弘法大師が割り箸を地面に突き刺すと三本杉になった場所など、大変魅力的な場所なので、今後情報を集めたいものです。

⑤果無山脈縦走路

 小辺路の果無峠から龍神村まで伸びる道です。龍神村から熊野方面に抜けるには最短の道だと思われます。
また、村内の方々もここを越えて本宮方面に抜けたと伺っています。「本宮祭りある時には、たいまつ持ってよぉ、ブナの平を越えて行ったもんじゃ。ちいしゃい時やったし、飴玉を買って貰うの嬉しかったわよ」そう言う高齢者のお話もよく聞きました。

④ ⑤のルートを一撃した事があります。
記録はこちら💁 https://yamap.com/activities/3405483

雲隠れの村

 私が知っているだけでも多数の古道がある十津川村。記録によると、これまで数々の要人が逃げ隠れる場所として利用しました。落ち逃れ、身を隠す場所としては非常に良い場所といえます。

おそらくは、村の中に中央と通じる者が居たと思われます。辺境の地に来るには道案内人や世話係が必要だったでしょう。
そして、隠れた場所からあらゆる方向に脱出できる事も重要な要件です。大きな街道もあれば、小さな脱出口も多く存在していたと思われます。

参考資料


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