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ep61 残る古道、消える古道
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2024年6月16日梅雨入り間近、当初雨予報だった天候も朝から穏やかな晴れでした。今回の目的は、ホタル鑑賞と古道歩きです。
前日村境探索に関わるメンバーが十津川村へ入り、ホタルが沢山飛ぶ谷へ行き、時を忘れて幻想的な自然の芸術を堪能しました。去年は圧巻のホタルショーでしたが、今年は数が減少しました。それでも十分楽しませてくれました。
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宿(通称高級マンション)に戻り、温泉で汗を流し、ご馳走を囲んで前夜祭。元々料理器具が揃っておらず、ほぼ使われていない筆者の隠れ家的場所なのですが、時々遊びに来てくれる友人を招いては空気の入れ替えを行っています。嬉しい事に、兄貴よりトースターとコンロを寄付していただき、今後はより豪華なグルメに期待が持てます。美味しい料理を囲み、最高のお酒を頂きました。山談義が止まらず、気付いたらAm2:00を回っていました。
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今年中には村境一発で踏破しそうですね〜
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西熊野街道再生プロジェクトへの参加
お邪魔したのは、十津川村で古道の整備を積極的に行っている西熊野街道再生プロジェクトさん。今は誰も使わなくなった道を歩き、整備されています。筆者の同級生をはじめ、地理に詳しい方々が参加されています。
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今回の古道歩きは、メインが十津川村今西集落から続く西熊野街道への古道です。その前に、高野山から続く熊野古道小辺路より枝分かれし、玉置神社に参詣出来る道の途中に『道標地蔵』があるとの情報。先にその地蔵をチェックしました。
道標地蔵
ここは川津から今西まで続く林道川津今西線が通っており、アプローチは比較的簡単です。ただ、地滑りの影響で全線車両での通り抜けは出来ません。
小辺路の三浦峠手前から分岐した古道が東に伸び、今西から登って来る道と合流するポイントが道標地蔵のある場所。新しい車道により、古道が削られていて、はっきりとした入口は分かりませんでしたが、山中に入るとそれが明瞭となります。
道標地蔵はおそらく江戸期に設置された物だという事です。誰も通らなくなった三叉路に佇み、うつむき加減の表情は悲しげに映ります。下に梵字、『左たまき山』『右いまにし』と刻まれ、旅の安全を願い設置された物でしょう。
ただ、地元民でありながら『何故ここから玉置山?』と不思議に思いました。頭に地図を思い浮かべてみるとなるほど!この地蔵から行仙岳を経て樫原、河ノ平、折立を経て玉置山に登るルート。行仙岳から小森、小原、高滝から玉置山へ至るルートがあり、地図に線を引くと最短ルートである事が良く分かります。
(後に手書きのルート地図参照)
「樫原、小森の集落に古くは旅籠があったんじゃ」と言う話は何度か聞いた事がありました。きっと玉置神社(当時は寺?)へ参詣する人々の利用もあったのではないか合点があったのでした。
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今西集落から西熊野街道へ繋がる古道
メインの道確認です。入口は今西集落最上部からさらに登った尾根より、入り口が残っていました。この道はアップダウンが少なく設置されたトラバースで、山肌にへばり付き谷を幾つも越えるグネグネ道です。最終的には小森集落の上部にある西熊野街道と繋がります。
目的地は小森集落へは行かず、三坂峠という場所を通って那智合集落に下ると言う事でした。途中までは前回のプロジェクトにて整備をされた様です。
地図上では投稿線の詰まった場所を確認していたのですが、実際歩き出してみると想像以上に下が切れていました。足元は広葉樹の落ち葉が堆積し、場所によっては滑りやすく思った以上に危険だと気を引き締めて進みます。
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岩場を丁寧に削った形跡が残る
かつて小森集落には村役場、警察署、郵便局などがあり、村の中心部でした。通勤の為、毎日歩いて通った人も居た様です。その頃は新しい植林山で、道もしっかり作られて歩き易かったそうですが、岩を切った細い場所があるなど、エクストリーム出勤されている人が居た様です。
崩壊によって絶たれた古道
トラバースの道を進んでいくにつれ、益々道が荒れてきました。大きな谷を回り込む手前に大崩落箇所が出現しました。地図上では崩落を示す箇所がありましたが、破線道は少し上を通るので、大丈夫だろう思っていました。しかし、崩落が徐々に上部に進んでいる様子、道は跡形も無い状況でした。上部への抜け道を探るも急斜面が続き、通り抜けは危険だと判断して折り返す決断をしました。
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足を滑らせるとアウトです(松田氏撮影)
今回は自然の影響による寸断で撤退しました。道が自然に還ったと言うべきでしょうか。ただ、先に立ち寄った道標地蔵周辺の様に、開発によって人為的に消える道もあちこちにあると実感しました。一方、尾根道の様にいつまでも残っている場所もあり、村の貴重な財産です。大切にしたいですね。
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小辺路から玉置山へ続く道は最短で繋がる(赤線)
※追記
この途中にある三坂の谷沿いにはかなり広大な田んぼがあったそうです。谷沿いには数軒家があり、今西川合流点には筆者の知り合いが住んでいたと聞きました。
また、このトラバースで衝撃的な出来事があったそうな。。。
帰りは今西集落から那智合へのロード走
少し早く帰宅しなければならない友人が居たので、我々はここから別ルートで下山し、那智合集落にデポした車に向かいました。折角なので、今西集落に続く古道も確認しながら下ります。
今西集落は現在生活している方は居ないのでしょうか。人の姿はありませんでしたが、草刈りがされていたので時々来られる方もいらっしゃるのでしょう。かつては多くの人が住んでいて、立派な学校もありました。
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国道425号線に向かってひたすら走って下ります。標高が下がるに連れ、気温がぐんぐん上がり、那智合集落への登り道では完全にバテました。
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消えている箇所も有り
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猛暑と疲れで大変でした。
メンバーは100マイルも走ってしまう強者ばかり、登りも走り通します。一方ダイエットが中々進まない筆者は悶絶し、己の弱さを身をもって思い知らされるのでした。
今後の村境探索の予定もゆっくり話ができました。夏場は積極的に行けませんが、秋頃には長い距離が行ける様に、筆者も体重を落とす事を約束しました。
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実は相当疲れています。
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