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ep35 榎谷の悲劇④(助けを求めて)

前回の続き


 2日目、伯母子岳から辻堂を目指した一行でしたが、天候の急変により前に進めなくなりました。一旦谷に下りて進路を見出そうとするが、道は見つからず夜営する事となりました。

過去記事はこちら↓

ep23 榎谷の悲劇①(村民の話)
ep26 榎谷の悲劇②(探報)
ep32 榎谷の悲劇③ (不運の連鎖)

行程3日目

 一晩降った雨により、寒さで寝れず。夜明けを迎えました。昨晩通り過ぎたあの山小屋を目指そうと山を下り出すも、あろう事か、昨夜生徒達を一所懸命励ましていた先生が動けなくなってしまいました。

 生徒達はその状況に驚き、先生を励ますも、差し出したリンゴもかじれない程になっていました。先生の容体は一刻を争う、と比較的元気な生徒2名が郷を目指し、助けを求めに行きました。

 残った生徒達は教員を看護しますが、全身凍傷の症状があらわれ、受け答えがままならなくなっていたそうです。「眠い、眠い」と言い、脈も弱り生徒4人が見守る中、そのまま先生は逝ってしまうのでした。

 助けを求めて下った2人の生徒は中々戻りません。残った生徒はそこに居る事もできず教員に天幕をかけ、誰か来た時に分かるよう目印を付けます。4人は悲しみの中、山小屋へ向かうのでした。

 4人は寒さでかなり弱っていました。山小屋へ向かう途中、1人が遂に力尽きそうになりましたが、自らを鼓舞するが如く「武士道!武士道!」と声を上げました。しかし、遂に皆について行けず斜面を滑り落ちます。それに気付いた仲間が介抱するも、やがて「眠い眠い」と意識が遠のきます。そして遂に先生を追うが如く、その生徒も亡くなってしまいました。

 そうしているうちに、先行した2名の内1名が戻って来ました。道を探したが集落など見当たらなかったと言う事でした。2人は途中で別のルートになり、もう1人が戻らない事になってしまいました。戻った生徒はもう1人の帰らない生徒が先に到着していると思っていた様です。この時点で2名が死亡、1人が行方知れずとなったのです。やがて山小屋に到着します。

 小屋へ到着すると神の助けとは正にこの事。小屋にはマッチが有り、充分な薪も保管されていました。行方知れずとなった生徒と一緒にいた生徒は、責任を重く感じました。再び捜索に出かけましたが、発見する事が出来ず、不明の生徒連れ帰る事が出来ませんでした。

 昨夜慌てずこの小屋で暖を取り、夜を明かせば3人は山の犠牲となる事は無かったかも知れません。ただ、残った4人の生徒達は生き残れるかどうかの状況。複雑な心境だったと思われます。

 ところで何故ここにマッチがあったのでしょうか?それは彼らが遭難する前日に山へ入った猟師が置いていった物でした。正に偶然、不幸中の幸いです。

 後日の捜索で行方不明の生徒は発見される事となります。かなり体力を消耗したのか、古い丸木橋の下に墜ち、力尽きていた様です。

 小屋で暖を取る事が出来た4人。生徒達は先生と学友1名が亡くなったショックと戻らない生徒1名。かなり精神的に辛い状況だったと思われます。4人中1名は凍傷に苦しみかなり衰弱していました。そのまま3日目の夜を迎えるのです。

運命の4日目

 この日は晴れていました。1番元気な生徒が意を決して助けを求めて谷を下ります。「お菓子を持って助けに戻る」と約束し出発しました。

 榎谷は神納川本流に合流します。何とか本流に合流出来たこの生徒は、何度も川を渡って数キロ下流の川津集落に到着します。川津の住民達は事を知ると食事を与え、生徒を上野地集落まで車に乗せ、警察に状況を伝えて助けを求めました。

 山小屋に残った3人は1人が衰弱と凍傷で満足に歩けなくなっていました。先に行った生徒が戻る保証も無く、動ける1人が救援を求めて集落を探しに下流へ下ります。歩けなくなった者を放置する事も出来ず、介抱者と衰弱した2人が残る事となりました。

 一旦本流まで出たその生徒は、筏下りの人が川を下って来るのを見ました。「おーい!おっさん!!」必死に声をかけて助け求めたが、何故か無視されてしまった様です。本流を渡らなければならないのかと思った矢先、山に入る道を見つけ出してその先の山天集落へ辿り着く事が出来ました。

 状況を知った地元の青年団が直ぐに救援部隊を結成し、残る2人を救助しに谷へ入ります。残った2人も決死の覚悟で川沿いに下っていたそうで、途中で2人を発見し、山天集落へ運び入れました。4日目にして4人が無事に救助されたのです。

 その後2日をかけて遺体を収容し、木の箱(棺桶)は村の人達で運び出され家に戻りました。今もその時の棺桶と関係者の人々写った写真が残っています。

助けを求めた道

 榎谷へ続く道は現在も残っています。山天集落からしばらくは歩き易い道が続きます。最近杉の伐採を行った為、視界が開け神納川と対岸の内野集落が良く見えます。

 伐採現場を抜けると、昔の田んぼ跡があり、榎谷へ下る道があります。奥には村有林があって、時々山仕事に入る人か、釣りに行く人くらいしか人が歩く事はありません。そのため、倒木や石が転がって、非常に歩きにくくなっています。目印が所々にあるので、榎谷へたどり着く事は容易です。

 当時、集落を見つけた生徒はどれだけ安心したでしょうか。そして救助隊を見た残る2人も安堵し倒れ込んだといいます。それだけ緊迫した時間だったと思います。

十津川村で起こる山の事故や遭難

 私が十津川村で仕事を始めて今年で13年になります。これまで数々の事故や遭難が発生しました。山の事故は案外多いのです。

 1番記憶に新しいのは、昨年神納川から三浦峠に向かう最中、行方不明になったアメリカ人女性です。高野山から小辺路を歩いて来た彼女は地元の宿に泊まりました。宿主の方々と一緒に写真を撮り、SNSにアップロードしていました。翌朝出発し、十津川温泉の宿で一泊する予定でしたが、到着せず次の日の朝から捜索が始まりました。しかし、目撃者も無く一切の手がかりがありませんでした。

 後日、本国から親族など捜索隊が十数名泊まり込みで長期間に渡り探していました。もちろん警察もかなりの人数が出動し、ローラー作戦を行ったようです。彼女の服装はピンク色や柿色の目立つカラーで、すぐ発見できそうなものですが、発見に至る事はありませんでした。

 ここで我々が考えておかなければならない事は、山へ入る事は命の危険もすぐそこにあると言うことです。万全の備えをしていても、事故に巻き込まれる事はあります。もし家族がいるのであれば、行き先を伝えておく。登山届を出す。最近ではデジタル機器の発達により自分の位置情報を知らせる機能なども利用出来ます。このようなものを駆使して、なるべく親族などに迷惑がかからないように対処しておきたいものです。

 それと、数人のパーティーで登山に行く際、いくら安心感があれども、危険な場合は撤退する勇気を持つ必要があります。何人居ても自然からすれば、人間はちっぽけなものなのです。

このシリーズは、温かい季節になり榎谷の石碑を見て終わりにしたいと思います。

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