あの世から眺めると

あの世から眺めると 今世の中で起きていることがどのように見えるのかと考えることがあります。

昨年11月に虫垂炎の穿孔から腹膜炎を起こして緊急入院をしました。

救急車で搬送されて その数時間後には手術をしましたが、後、半日遅れていれば  敗血症になり、手術をしても間に合わなかったという話を執刀していただいた主治医の先生からお聞きしました。

大腸がんの手術のときには 「死」を意識しましたが、痛みは強烈であったものの この緊急な病気が死に直結しかねない危険なものであるという認識はありませんでした。

以前 緩和ケアのドクターの講演をお聴きしたときに、どの病で死にたいか となれば 癌で死にたいというお話がありました。

それは 癌は イメージ的には死と直結しているかに見えるけれどと 発症 即 死に繋がる病ではないからだということでした。

癌という病では 人生の時間が まだ残されており その間にいろいろと整理すべきことを整理して旅立って逝くことができるからのようです。

2020年からのコロナで始まったワクチン接種は 人間の考えでは 人の命や 健康を ウィルスから護る為のものでしたが、その護る為のものだと信じていたもので 逆に生命を失い、健康を損なう人が増えてしまいました。

世界中で です。

ワクチン自体が 人間が自然に持っていた免疫の微妙なバランスを壊してしまい 逆にウィルス感染以外の他の病気にも罹患しやすくなってしまったことも 指摘されています。

ワクチン接種によって 生命を護るという ことで出発していたはずなのに 逆に超過死亡数も2021年2022年 2023年と増え続けています。

突発的に 人生の時間を中断される事態が 生命を護るはずのワクチンによって 引き起こされてしまっている 皮肉な現実に向かい合わせられているようにも思います。

この世で生きる時間は 永遠ではありませんでした。その事に向かい合うことを 私も、戦後の平和な日本で安穏になり暮らす日本人も忘れてしまっていたようです。

例え 信仰を持って 教学として知識として あの世はあると学んでいたとしても、

実感として この世の時間が突然 終了するときに 本当に価値あるものが 何であったか  思い知ることになります。

今WHOのパンデミック条項の危険性や情報統制の危険性が 一部の人には知られて超党派の議員連盟も立ち上がっています。

この世の活動としては とても大切なことだと思います。

ただ ふと思うこともあるのですが、今 熱心に活動している方々も100年後には この世にいません。

ダボス会議などで エリートとして世界を動かそうとしている人たちも この世にはいないでしょう。

この世のなかは 有限で永遠ではありません。実在の世界は、この世を去ったあの世にあるのです。

この世の活動が あの世に影響するとしたら、
きっと 多くの人を救いたい、助けたいと思って活動した 愛の心だけが残っていくものになるのでしょう。 

肉体の命は有限です。
肉体の命だけを護る発想での
医療も政治的活動も すべて空しいものになっていくように思えるのです。

変転していく世界のなかで変わらない普遍的なものを エルカンターレの法のなかに 私は感じています。

 この世とあの世を貫いて変わらぬものを真実の 心は求めているのでしょう。




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