愛の方向性ー 奪うほうの愛か 与えるほうの愛か

反省

発展

この4つが 人類にとっての幸福の四正道だと 幸福の科学で学びました。

人間が幸福になるには この4つが 大切だということ。

先祖供養の経文の中にも この四つの幸福の原理について説かれています。これは 亡くなった方を諭す経文でありますが、現世で生きている私たちにとっても 忘れてはならない教えだなと思うのです。

愛とは他人を愛することであり見返りもなく尽くすこと

知とはあの世の知識

反省とは あの世の知識や天国地獄の違いを知って 地上で欲に捕らわれた生き方を 反省すること。

発展とは 人に迷惑をかけることなく自分を伸ばし 人々の幸福増進に尽くしたかどうか

と、説かれています。経文は 入会者からさらに三帰信者に なられた方に授与されるもの。

三帰とは 仏 法 僧 に 帰依する ということを指します。入会よりも もうちょっと信仰を深めたいという段階の方に勧められています。

3年前のラジオ放送 天使のモーニングコールで紹介されていましたので ご参考までに (映画情報などは  2019年当時の古いものです)

愛とは 

見返りもなく尽くすこと 菩薩の慈悲に他ならず 

という言葉があるのですが、知識や言葉だけで理解していても 実生活の上で 常に 実践できるかと言えばけっこう難しいものです。

与える愛と奪う愛

という言葉も 幸福の科学では よく聞く言葉です。

与える方向での愛は 大きな幸福を招きますが、奪う方向での愛は結果的には不幸になってしまうということです。

奪う愛としては 他人から何かをしてもらったり、他人から何かを得ようとばかりしている精神態度 人から誉められたいとか 他人から尊敬を受けたいとかいう心の傾向も入るかもしれません。

他人から 愛を与えられたい 愛されたい、して欲しい して欲しい  くれ くれという「クレクレ星人」

与える愛というのは やはり 自らが 愛の供給源となって 他人のために尽くしていこうという心の態度ですね。

惜しみなく愛は奪う なんていう言葉もありましたが、これは 地獄的な方向です。

愛の方向性を間違えると 地獄を作ってしまう。

今 世界中で多くの問題が起きているのも、この愛の方向が 「与える愛」ではなく「奪う愛」の側に立っているからだと思えます。

個人レベルでの奪う愛 が 家庭レベルでの奪う愛となり 社会レベルでの奪う愛  国家レベルでの奪う愛となっているようです。

あくまでも 出発点は個人の心ですが その一人一人の心の集合が 国家レベルにまでなってくると 他国の資源や領海を自分達の核心的利益だと言い張る、 中国のような国家になってしまうのでないかと思えるのです。海外援助に見せかけて、お金を発展途上国に配っても、借金のカタに 港湾を接収して自分達のモノにしてしまい、相手国の国民に何らの恩恵ももたらさない債務の罠に陥れるようなやり方も 「奪う愛」の典型です。

自分さえ良ければよい。自分のモノをより多く得たい  自分の家庭さえ良ければ良い 自分の地域さえ良ければよい。自分の生きている間さえ良ければよい。 自分の国さえ良ければよい。

全部 方向が 自分達の利益ばかりを優先する方向に向かうのも 奪う愛を 特徴づけるものになります。

大きな国レベルの話をしましたが 本当はこの出発点は 私たちの心が 愛の 方向性を 誤ったために それが積み重なった集合想念の 現象化した社会や世界を作り出したともも言えます。

救世主が 地上に降りるのも 人類が 愛について大きな誤解をして 自滅の道を歩むのを 見ておられなかったから…

「愛 知 反省 発展 」の教えというのは 個人から 事業経営、国家運営に至るまで 人類をを幸福にできる原理です。

事業を例に取ると

より多くのサービスを提供して喜んでもらいたいという「 愛」の思い

その事業遂行のために知っておかねばならないノウハウや 知識といった「知」

その事業が本当に良いものであったかを点検する「反省」

その事業を大きくしてより多く社会を貢献しようとする「発展」

この 「愛・ 知 ・反省 ・発展 」の四つを最大限 あらゆる人間の営みに当てはめて点検するすることで より幸福な社会を作り出していくことができます。

だからこそ

出発点となる 「愛」の方向性が大事になるのです。

奪う愛の世界は、最大の不幸をもたらしてしまいます。

たとえ 事業を発展させても 奴隷貿易や奴隷労働をさせて発展しているような会社があるとするならば どうでしょうか? 

事業を大きくするという 知や 反省 発展のところでは 成功を修めているのかもしれませんが、「愛 」が 自分の利益だけの方向に、間違った方向に行っているのではないでしょうか。

仏の教えは、全人類を幸福にする教えです。

愛については 「太陽の法 」第三章 愛の大河について 述べられています。

…………………………………………以下 太陽の法より

愛は両極端です。すなわち、本物の愛は最高の幸せをもたらし、偽物の愛は最大の不孝不幸をもたらします。愛は人生の喜びのための大半であり、またそれを誤解した場合には最大の苦しみでの大半でもあります。


私は、天上界のですイエス・キリストとよく話をすることがあります。

キリストはもちろん 愛の大家であり、愛の専門家であり、また神の愛の体現者でもあります。

そのキリストが「現代人にこそ、まさしく本当の愛とは何なのかを告げ知らせる必要がある」というのです。

というのは、愛が現代ほど誤解されている時代は、有史以来めずらしく、わずかにアトランティスの末期や、旧約聖書にあるソドムとゴモラの時代ぐらいしか見あたらないからだそうです。

……………………………………………………太陽の法より…

この 言葉の意味を深く考えますと 愛の方向性や愛の本質を掴めるかが 人類の未来に大きく影響するのだと思わざるを得ません。

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