親子の縁

子供は親を選んでくるということを
聞いています。

アメリカ等では 1980年代頃から
退行催眠を 被験者に施したところ
胎内記憶や それ以前の記憶を持つ人が
次々と現れて
生まれる前の意識が  あることがわかり

魂の永遠性が 精神医学の世界でも
認識され出したようです。




しかし 一方で 毒親に苦しんでいるという
子供に対して こう考えたほうがいいという説もあります。


実際には 親から 自分が選んで生まれてきたから 親を助けるのは当然というような親に支配され続けたら 子供としては たまらないでしょう。

でも  そういった マイナス面も含めて
どうも 親子には 深い 縁があるようです。
共に お互いから 何かを学ぶために その関係はあって
親から 支配され続けるという  意識も
魂の課題として乗り越えないと
次の 段階に進めないのかもしれません。


地上に生まれるということは 何も問題のない順風満帆の生涯を送ることに意味があるのではないようです。
 
この世限り この世がすべての人生観の下では

恵まれた環境 

素晴らしい人間関係のなかに

親の愛情に包まれた 家庭に

生まれたいのはやまやまで、
他の恵まれた人を羨ましく思えてきます。

しかし、

そのなかで魂の足腰が鍛えられる機会は少ないのでしょう。

人はそれぞれの 課題、問題集を持って
この世に埋まれてくるという視点で
改めて 自分の人生を見ることを
仏の教えは 示してくれました。

「人間にとって大切なことは 心結の美しさであり、あの世に持って還れるものは心しかないのだ。別の言葉でいえば、この世で得た悟りでしかないのだ」と考えていれば間違いがありません。
 あの世に持って還れるものは心しかないのであれば、たとえ、この世において どのような状況が現れてこようとも、それらは、すべて、自分を磨き、試し、導くための道具にしかすぎないのです。
 事業で苦しむ人や、家庭などの人間関係で苦しむ人も数多くいますが、そういう苦しみのなかに、人生の本質というか、自分を磨かせようとしている、仏や神の「大きな慈悲の心」を感じ取った人は、迷うことはまずないのです。

救世の法 第2章 導きの光

 誰であろうと、「いろいろな試練を受けながら、そのなかで魂が鍛えられ、磨かれ、強くなっていく」というのが本当の姿です。
「人生において、何も、波風が立たず、向い風が吹かず、困難が起きない」ということを望んではなりません。
 難しい問題集が 出てくることはありますが、いろいろな問題を解くことは、みな、「アコヤ貝が、なかに入った砂やガラス片などを粘液で包み込み、真珠を作り上げていく」というような作業にしかすぎないのです。そのことを知らなければなりません。

救世の法 第2章 導きの光

十代や二十代前半には たぶん 受け止めることが難しかった教えではありますが
年齢と共に この教えの意味が 心に深く穿ちいっってくることを感じています。


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