愛とは何かー 愛 知 反省 発展の四正道の最初にくる愛の教え

幸福の科学のに出会ったのは 書籍からです
坂本龍馬の霊言 卑弥呼の霊言 天照大神の霊言 日蓮聖人の霊言 イエスキリストの霊言 ソクラテスの霊言等々

そのうち 太陽の法 黄金の法 永遠の法 という理論書が刊行されていきます。

太陽の法という本は 霊言集なら すんなり読めた私には難しく、読んでも理解ができなかったことが多くありました。

なかでも 第3章の 愛の大河については 読めなかったのです。その理由をふりかえってみると、「愛」に対する不信感や

 大川隆法先生に対して 反発心のようなものがあったのです

霊言集は、父君である善川三朗顧問の名前が著者として大きく出されていました。そして大川隆法先生は霊の声を伝える人として 紹介されていました。

太陽の法で いよいよ本格的に大川隆法先生の仏陀として、救世主としての 姿が 明らかになってきたのですが すぐに受け入れることができなかったのです。

ひとつの理由としては 東大を出て 一流商社勤務のエリート街道を歩いてきた人が  本当に 人の【つまり 私の ということだったのですが】気持ちがわかるわけがないだろうし、宗教家になるのはおかしい という 反発です。

当時の自分の心を振り返ると これは エリートや学歴の高い人 恵まれた人に対する私の嫉妬でもありました。

愛についても、両親が早くに亡くなっていたので 愛に対しての欠乏感覚はあっても 自分が充分に愛されてこなかったという不足感や不満のほうが大きくて 愛を与える⁉️ 何? という気持ちのほうが強かったのです。

生前の母は教育ママで 近所の子供たちと遊ぶときも 年嵩の私が他の子達よりも優れていないと面白くないというところがありました。

母の闘病中は 動けない状況になっても なんとか帰ってきて欲しいと祈る毎日でしたが、母親が亡くなったあと 私は不登校になってしまいました。

その事を 受け入れることができずに、母親に対してもアンビバレンツな感情を持ちはじめたのです。

現状の自分の姿に納得がいかず、 自分の幼少時から受けた 母親の言動に起因するものだと 心理学の本などを読んで 理由づけをして母に対してのネガティブな感情を醸成していきました。

当時は 毒親なる言葉はありませんでしたが、もし今の子供だったらその言葉を親に当てはめていたでしょう。

愛についても 親は自分にとって 都合のよい自慢できる子供だったら愛するけれども そうでない場合は 愛することは無いんだ。夫婦間でも浮気をして相手を裏切る人もいるから みんな自分のことしか考えていないんだ という非常に ネガティブな イメージでしか 人生を捉えていませんでした。

その 荒んでいた心の中に なぜか入ってきたのが 霊言集のなかでの言葉の数々

そして 読めない思いつつも 心のどこかに引っ掛かっていた言葉

人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。夫婦間でもつまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです。困難とは、どういうものでしょうか。すなわち、病気があり、貧困があり、挫折がある。失恋があり、事業の失敗があり、友人の離反があり、愛するものとの別離がある。機雷な人との出会いもあります。さらには、年を取り、醜くなり、体が不自由とになり、やがては死んでいくのです。
こうした現象を現象とだけ見れば、人生とは、苦悩捉えて悲しみに満ち満ちているのかもしれません。しかし、苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。

苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。

この言葉に 釘付けになりました。

とはいうものの 次に続く言葉は ハードルの高いものでありました。

苦悩や悲しみがあるということは、私たち人間に選択をせまっているのです。選択とは、なにか。つまり、私たちのひとりひとりが、与える側の人生を選ぶか、与えられる側の人生を選ぶか。その選択です。愛の本質とは、やはり与えることなのです。愛とは神が人間に与えてくださったものを、自分一人のものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありませんけど神は‼️私たちに、愛を供給してくださっているのです。
 苦しみの原因は、自分はほかの人を愛しているのに、ほかの人は自分を愛してくれないと思っているところにあるのです。いえ、ほかの人が自分を愛してくれないのではありません。自分が期待しているほどには、ほかの人が自分を愛してくれないとから思うからこそ、愛ということを機縁として、人間はひとつの理由としては苦悩に陥っていくのです。       愛のみかえりは、ほかの人間からではなく、神からくるのです。

苦しみの原因は 自分が期待しているほどにはほかの人は自分を愛してくれないと思うから

という言葉にハッとしました。

自分の思うようなかたちで 親から 愛されたいと思っていたことに気がついたからです。

でも 神からくる愛なんて 分かりません。人から与えられる愛を 求めているのが そのときの正直な心境でした。

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