エリートと一般国民 アメリカ大統領選挙に思う

本当の意味でのエリートというのは何でしょう。
トランプ大統領はアメリカのメディアから、攻撃を受けSNSの世界から閉め出されていました。
2024年の今でも、
日本の報道では いまだにアメリカのメディア報道の孫引きのような報道が続いています。

しかし、トランプ大統領に アメリカの一般の国民の支持が大きい理由は エリートではなく一般国民の生活実感を トランプ大統領がしっかりと認識しているからでしょう。


政治的エリートたちは困窮している国民の声を聞かない、現実に問題になっていることを問題がないと嘘をつく
(国境問題、移民問題、経済問題、治安問題、etc…)

政治的エリートたちは 困窮している国民の声を聞かない


この指摘は
 日本の政治にも当てはまりますね。

悲しいことに 今の 日本では投票率がどんどん下がり、政治的に無関心なままに 国民は獅子ではなく羊になってしまっているようです。

エリートという言葉も このXの文面にあるように腐敗と同義になりつつある昨今です。

幸福の科学の大川隆法総裁が 30年前に出された「常勝思考2」という書籍のなかに

「 真のエリートとは」
               という1章があります。

そこから 少し 抜粋してみましょう。

一般的な出世とは違って、さらに高度なものを私は求めていきたいというふうに思います。この真のエリート論は、私自身は魂の進歩・進化に結びつかないものであるならば、ほとんど無益である、というふうに考えています。
 それは、人間は本質において霊的な存在であって、指導者になっていく歴史も、霊的に、すなわち魂において進化していく過程であれば、それは無限の幸福を生んでいくものでありますけれども、その地位が一転して自分の権力・権勢を欲しいままにして多くの人々を苦しめるような方向に向かっていったときに、それは魂的には明らかに退化あるいは転落であって、真にエリートというに値しないものであると、私は考えるのです。

世界各国で、指導者の真価が、真の値打ちが問われています。

彼らが真のエリートかですそれとも偽りのエリートかは、彼らを逆境にさらしたときに、ひじょうによくわかるようになります。真のエリートは逆境にあって狼狽いたしません。ところが、偽りのエリートは、逆境にあってどうするか。自己の保身のためにまったく取り乱した行動をするようになります。そして、今まで仏顔をしていたその顔が、突然、夜叉の顔に変わって、自分の権益を剥奪しようとする者たちに対する強力な弾圧をはじめます。ところが真なるエリートは、たとえ人々から誤解されることがあろうとも、そうした逆風のなかで淡々として自己研鑽を怠らず、一陽来復を待って、またみずからがその真なる力を発揮することができることを、その日を期するものであります。
 その根本はどこにあるかというと、私心があるかどうかを無心であるかどうか、というところであると思います。

私たち人間が物質的な存在でなく、霊的なる存在であることを どれだけ認識できるかでエリート像が変わってくると思うのです。

位人臣を極めたとしても それが魂の進化に役立っていないのであれば、魂としては退化しているということです。

魂の進化とは より神仏の境地に近づいていくことだとすれば、神仏がどのような存在であるかをまず知らねばならないでしょう。

つまり、本当の意味での信仰心がなければ神仏の心を知る事も、叶わないでしょう。

神仏の心は 多くの人々への愛です。
愛のある政治であるかどうか。

アメリカでは大統領は聖書に手を置いて宣誓していますが、それが形だけのものか 心からのものであるかどうかなのです。


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