ハル子

アラフィフ女性 介護真っ只中 断捨離中

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最近の記事

母の事(30代〜40代の頃)

実母の死に目に会えなかった母は、泣き暮らし、精神病院への入院となりました。 幼子を抱え大変だったと、後年、当時の事を父は語っていました。 その3年半後に誕生したのが私です。 母は私を一心に愛してくれました。 当時の育児日記には、事細かく成長記録や当時の家族の出来事が綴られています。 育児に夢中で、実母との別れの寂しさも少しずつ薄らいでいったのかもしれません。 本当のところは母本人にしかわかりませんが。 両親の愛情に育まれ、何不自由なく子供時代を暮らした私。 だけど、うちの母は

    • 母の事(その①)

      母は昭和20年8月、終戦間際に生まれました。 非嫡出子ではありましたが、祖父母や母親の愛情を受け、何不自由ない生活を送っていたようです。 高校を卒業し、地元の信用金庫へ就職した後にお見合い結婚しました。 長男が一才になった頃、実母が脳溢血で急死。マイカーを持っていなかった為、タクシーで2時間かけて実家にかけつけたものの、死に目には会えませんでした。 父曰く、「実母の死をきっかけに、朗らかだった妻が変わってしまった」と。 自宅に帰宅後も夜中にしくしく泣き、育児はもちろん日常生活

      • 父の事

        私の父の口癖は、「人生塞翁が馬」 色々な出会いと助けを貰い、そして自らの人生を果敢に切り開いた苦労人。 昭和13年生まれの次男。 3才で父親は戦死。11才で母親を病気で亡くし、そこから年子の兄とリヤカーを引いて、家業の酒屋を助け、高校卒業と同時に都会の親戚を頼り居候しながら県庁に就職。 公務員として働きながら自力で夜間大学に通い、土木学の国家資格を取得し80才になるまで働きました。 幼少時に父親を亡くしているので、自ら父親像を描くのは苦労したのでは?と思われます。 兄と私を大

        • 介護元年

          はじめまして。 アラフィフとなり、両親の介護に日々奮闘中の私です。 団塊ジュニア世代と言われた我々、新興住宅地で、サラリーマンと専業主婦の両親の元、何不自由なく子供時代を過ごしました。 大学を卒業して、就職して、結婚して、子供を産んで育てて、ごく普通の人生だったと思います。 ごく普通。 ごく普通と思っていたけれど、ウチは何かが違うと薄々感じてはいました。 異変が爆発したのが2020年の夏。 お盆の墓参りに出掛けた日から。