指先の足跡
瞳孔に刻まれた光景は必ず陽の当たらない場所だった、建物に張り付くように生え広がった羊歯、身を屈めで様子を窺う野良猫、酔っ払いの小便の臭い、行場を失くして蓄積する湿気、誰かが捨てて行った悲しみの名残、ボロボロのスポーツ新聞、壊れたイヤホンが奏でている音楽は「暗い日曜日」かもしれない、俺は大豆で出来た健康食品を頬張りながらそいつらの横を歩き過ぎる、猫はほんの少し身を乗り出して、「こっち来ないのかよ」とでも言いたげな顔をする、俺は悪いね、という感じで軽く手を振る、わざわざ見慣れ過ぎた場所で歩みを止めようなんて気には到底なれそうにないんだ、まだ何も知らない、打たれ弱い誰かを探しなよ、仲間を必要とするには俺は少々出来上がり過ぎた、まあ、君にこんなこと言ってもピンと来ないかもしれないけど…喫茶店に潜り込んで、アイスコーヒーを飲みながら詩を書く、一人で来ているほとんどの客は俺と同じようにスマホを取り出して指先で指示を与えている、この中に詩を書いているヤツが何人居るだろう?おそらくは俺一人だ、この街にだって詩人は意外とたくさん居るけれど、それでもさ、なんだろうな、詩人仲間と話していても、俺はあまり同じ詩の話をしている気がしないんだ、目的も何もまるで違う気がしてさ、何が違うんだろう?きっと、真面目に詩を書いているやつらっていうのは頭をたくさん使ってる、そして、先人が生み出した規格や不文律に則って学習的に模倣的に指先を動かす―多分そこにフィジカルはあまり関わっていないんだと思うんだ、俺は肉体と精神のすべての領域でバランスが取れるように書いている、どこかでいつもそれを意識している、詩というのは俺にとっちゃ心電図みたいなもんなんだ、これだけの脈を打っている、これだけの振動を起こしている、そういう生体活動の記録なのさ、だからどれが欠けても俺の詩とは言えない、だから俺は身体も整えている、身体が弛んでしまっては言葉が身体中を駆けることが出来ないからね、信号がどれだけ身体の中を駆け巡っているのかということを常に感じながら書かなければいけないのさ、だから俺はスプリントのように書いたり、マラソンのように書いたりする、一度書き始めたら自分がその日どんなペースを望んでいるかだいたい掴めるものなのさ、あとはそれに乗っかって指先を走らせるだけだ、考えることを放棄しても詩は書けるからね、理解はあとで追いついてくる、頭を使って書くことを覚えるとスピードは落ちてしまう、何のために書いているのか?自分もまだ見ていない自分の奥底を見たいがためさ、それ以外に書く理由なんて一個もありゃしないんだ、俺自身の洞窟を、生きているうちに出来る限り踏破するんだ、アイスコーヒーを空にして金を払い店を出る、夏はまだ続いている、気分はずっとすっきりしないまま、さっきの猫の側で横になるべきなのかもしれない、楽になれるという意味ではそれが幸せかもしれない、けれどそんなものを選択出来るほど愚かな時代はとうに過ぎてしまった、俺の人生は一瞬の瞬きなどではない、俺が残してきたものたちを並べればそれは明白なはずだ、そうさ、長ったらしい、暑苦しい、回りくどい人生さ、だけどそういう人生をそのまま生きることが俺にとって最良なんだ、俺はもうそのことを疑ったりしないよ、だって着実に歩みは進んでいるからね、CDの店を覗く、チャーリーが居なくなったストーンズの新しいアルバムはまだ聴いていない、チャーリー・ワッツ無しにストーンズが可能だなんて俺は思わない、チャーリーはきっとこう言ったんだ、「僕が死んだからってストーンズを止めたりしないでくれよ、僕の代わりなんか幾らでも居るさ」いつか手に取る時もあるだろう、でもその時だって、ミック・ジャガーによるストーンズプロジェクトみたいなものだと思いながら聴くだろうね、それが自分で飲み込めないうちはダイヤモンドが霞むまで待つことにするさ、どんなことがあっても歩みを続けるもの、ある一点でばったりとすべてを終わらせてしまうもの、俺は生き続ける方がイカシてるって学んだんだ、死ぬまで出来る限りのことをやり続けてやるのさ、誰も俺のことを見なくたってね、いつか下らない病気か何かで俺がくたばった時、その後に長い長い一篇の死が残ればそれでいい、いつだってそう考えて書いている、俺は俺という一篇の詩なのさ、それ以上余計な話なんて何もする必要無いね、家に帰ったら簡単な食事を食べようか、それともまた大豆バーでも齧ろうか、選びに選んで再生するプレイリストには今日を愉快にしてくれるナンバーが目白押しさ、本当に必要なものを知っていれば、毎日の大切な何かに必ず手は届くように出来ているんだ、俺が誰だろうとどうだっていい、俺があれこれと喋るよりも俺の指先の足跡を眺めておくれよ、そしてこんなことに懸命になっている俺を笑えばいいよ、そうすれば俺の今日に愉快な項目がまたひとつ増えるからさ。