誰かの為に鳴らされる音はすべて歪んでいる
チャコールグレーの夜、ローヒールの足音が窓の下を通り過ぎる時、インスタントコーヒーが少し喉を焼いて、イマジネーションのすべてに一瞬血が混じった、それはある意味理想ではある、ただ望む血じゃないという話で、誰かがあまり楽しくない電話をしているのが聞こえる、夜、誰も居ないからといって安心してはいけない、静まり返った街角は思っているよりもずっと遠くまで声を反響させる、時々、夜の記憶が奇妙に色づいているのはきっとそのせいさ、救急車が走り過ぎる、大きな病院が近くにあるんだ、きっと自分で思っているよりも死の匂いを浴びて暮らしているのだろうなと思う瞬間がある、でもそんな感触は意外と悪くないものだ、どんなことだって知らないよりは知っているほうがずっといいはずさ、本当に面白くない数日を過ごして、久しぶりに予定の無い週末がやって来る、明日は少し自分の為にたくさん出来ることをするつもりさ、やるべきことをきちんとやらなけりゃ精神の部品が錆びていくんだ、そこは特に乾きやすく出来ているからね、理由をつけてあまり先延ばしにしているとすぐに動かなくなっちまうんだ、何かが出来ると思う日には気持ちが逸って眠れなかったりするよ、とはいえ明日はあまり天気が良くないらしいから、いろいろなことを考えておいた方がいいね、ここが難しいところでさ、ただの思い付きでちゃんと無理なく進むこともあれば、多少用意しておいた方が上手く行く場合もあるんだ、こっちじゃないと思えばすぐにモードチェンジをする判断が出来るかどうかになるね、まあ、でも、身体が行きたいと思っている方向に進んでいるなら、あまり難しく考えることはないよ、真面目さは補助輪くらいにくっついていればそれでいい、考え過ぎるとイマジネーションは不自然な代物になってしまう、三十年ぐらい前に流行ったデザイナーズマンションみたいにさ、とにかく形が変わっていて、コツをつかむまでは住むのに苦労するような、そんなものになっちまう、誰にだって心当たりがあるはずさ、そしてそういう時って、妙に自信に溢れてたりするんだよね、本当に気をつけなくちゃいけない、モチベーションなんて意外と生み出すものには直結していないんだ、そりゃあ、気持ちよく進められれば凄いものが出来たみたいに思っちゃうのは仕方のないことだけどさ、どこかで自分のことも疑っていなけりゃ、致命的な間違いを犯すことだってあるかもしれない、いつだって自分を疑いながら生きる、いつだってそうさ、結構大事なことだぜ、自分を完全に信じてしまったら、人間はそこから成長出来なくなる、自分自身の居心地が悪いから修正しようとする、それが人生の真理さ、その匙加減はそこそこ長く試行錯誤を繰り返して初めて身につけることが出来るんだ、人生は嗜好品や調度品と同じように選ばれるべきさ、デザインが気に入ったか、身体に馴染むのか、色合いはどうか、なんてね、ただ、人生の選択は、椅子を選ぶほど簡単じゃないってだけのことなんだ、少し離れた大橋の上で誰かが歌っているらしい、二十年前のヒットソングだ、誰に向けて歌っているんだ、誰に聴いて欲しいんだ?こんな真夜中の大橋の上、観客は三十分に一度通り過ぎればいいくらいさ、ストリートミュージシャンは好きじゃない、彼らのほとんどは夜に飲み込まれて、帰れない者みたいになってしまう、彼らと詩人との間にどれくらいの違いがあるのかは知らないけどね、なんだっていいさ、どっちだってなんだって、どんな結論だって個人差を排除した上でのものさ、A君にとっちゃ当たりでも、B君にとっちゃ外れかもしれない、一般的なイメージの話は個人を越えることなど無い、常識とか当り前なんて気にする必要は無いのさ、そりゃいったい誰にとっての話なんだい?って、思うのが普通じゃない、何かにすがらなくちゃ生きていけないやつらが、そこらへんにあるわかりやすいモノサシを選んでいるだけさ、例えばこんな夜になにかを記そうとするとき、それが常識や当り前となにか関係があると思うかい?人がひとりで生きようとするときにそんなものは必要無いんだ、あるのはただ自分がどこに向かって進むのかという疑問と希望と覚悟だけさ、それで充分なんだ、必要なものはいつでも混沌と矛盾さ、それをリアルだと思うのが俺のモノサシさ、夜明け前、街路はとうとう静まり返った、仰向けに寝っ転がって深呼吸を繰り返し、空気が全身を駆け巡るのを感じる、この肉体は無茶苦茶だ、そして、精神もよくわからない箇所ばかりだ、それは正しく描かれなければならない、本当の血が混じらなければならない、その生温ささえ感じられれば、眠れない夜のあとでも少しはなんとかなる気がするんだ、これからやって来る一日は昨日の続きではない、それはどこか別の世界線の上にある、昨日と同じ日付の一日かもしれない、現実がリアルであることなんか本当は誰にも証明出来ない、リアリストの大半はただの嘘つきさ、ハーメルンの笛吹きについて行く子供たちとそんなに違わないよ、俺は笛の音の違和感に気付くことが出来た、だから始めから後ろに並ぶことなんて出来なかったんだ。
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