美大時代②
私は、がめつかった。
デッサンのモチーフが組まれると、わざと上手い人の近くに陣取ってデッサンが上手い人の筆運びを真似しようとした。必死だった。
講評では出来るだけ前列に席を取るようにして、"上手い人"の絵を近くで見るようにした。
スランプもあった。全然絵がわからなくなかった。休みの日は美術館に通ったり渋谷に行ったりして自分なりに吸収する。
闇が深くなると友達は離れていった。
秋になると高校の同級生はほぼ推薦やらなんやらで進路が決まっていて、高校はのんびりとした空気が流れていた。
私は孤独だった。
予備校の学科の授業を受けるお金はうちにはない。
図書室から多摩美、武蔵美の赤本を借りて
必死に英語と国語の研究をした。
高校の国語の先生に小論文の添削をしてもらう。
とにかく必死な一年間を過ごした。
受験当日。片道2時間かけて第一志望に向かう。
滑り止めと思ってた大学は補欠にも引っかからず、落ちてしまった。あとがなかった。
浪人させるお金は家にはない。
誰よりも早く試験会場に着き、気持ちを沈めるために鉛筆を削った。
2月。吐く息は白い、寒い。
今まで講評で言われたメモを何度も見ながら会場が開くまで待った。
試験が始まる。
エスキースが決まると急いでデッサンをする。
時間が後半になった頃、教授が回ってきた。
私の絵をしばらく見つめて教授は去っていった。
有名なイラストレーターの教授だ。
私は自分に追い風が吹いてると思い、必死に仕上げた。
翌日は色彩構成。
時間内に塗り終わらなくなりそうで、
足が震える。
緊張から初めて漏らしそうになる。
試験結果は、第一志望にストレートで合格した。第二希望も補欠で合格。
デッサンがとんでもなく高得点だった。
小論文は満点だった。
この2つが大きくて、倍率10倍以上の美大に受かった。
高2や高1の基礎科から通ってる同級生たちはなんであの子が現役で、という感じで冷たい視線を送り、講師たちもまぐれ受かりだろうというリアクションだった。
私の合格を純粋に喜んでくれたのは家族だけだった。
高校の予備校仲間はほとんどが浪人生になった。
いいんだ、私は一から人間関係を作ろう。
そう思って春から美大生になった。
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