EXPO’25に思う事

EXPO’70を振り返る。

1965年に大阪に日本万国博覧会が開催されるという事が知らされ、場所を当時雑木林の千里丘陵で鍬入れ式、ヘリコプターから伊勢神宮の宮司のお祓いを受け、万国博開催への第一歩を踏み出した。
それを受け大阪府・大阪市・万国博覧会協会が一丸となって万国博開催に向け5年前から動き始めた。大阪府・大阪市は「全ては万国博の為に」と言う一丸となって、大阪市内の都市整備などのマスタープランを立て着実に進められ、今でもA型斜張橋として素晴らしいフォルムを見せている豊里大橋や天王寺バイパスもこの時期に完成した。道路に関しては府道2号大阪中央環状線を整備し中央部に近畿自動車道天理吹田線【E26】が完成し、道路面は凡そ完成したが、問題は鉄道で大阪市営地下鉄(現OsakaMetoro)御堂筋線が新大阪から江坂までの延伸を1971年度に考えていてなかなか腰を上げなかった。
阪急千里線も同様で新千里山(現在の南千里駅)からの延伸を急かされたが阪急も腰が上がらない。結局国からの説得に応える様に江坂から阪急と大阪府のバックアップで第三セクター「北大阪急行電鉄」を発足し、自社用2000系電車、後に大阪市営地下鉄(現OsakaMetoro)に譲渡する目的で7000系・
8000系(現在のポールスターと呼ばれる電車とは別)を建造し、江坂-桃山台-千里中央(仮駅・一応万国博閉会後に使用する本駅は準備中)-万国博中央までの路線を敷設。大阪市営地下鉄(現OsakaMetoro御堂筋線)は初期7000形を30系に変え全車両30系8両で運用開始。阪急側も現在の山田駅(当時は未開業)の北千里寄りに「万国博西口」と言う仮乗降場を設け、大阪市営地下鉄(現OsakaMetoro堺筋線)も30系のコンセプトを盛り込んだ初の架空集電方式の60系を製造。阪急も1967年から堺筋線と京都線両線に対応の3300系を製造。梅田(現大阪梅田)から北千里間で「EXPO'準急」(停車駅は梅田(現大阪梅田)-十三-淡路-吹田-関大前-南千里-万国博西口-
北千里)同様に堺筋線からも運行され(停車駅は天神筋橋六丁目までの各駅と以降は梅田発着と同じ)また宝塚線、神戸線からも直通列車が走り、わらわらと来る来場者を捌いた。
特筆する点として、国鉄茨木駅(現JR京都線茨木駅)から会場までの便を近鉄・京阪・阪急バスの3社でピーク時は19秒間隔で運行し捌いた。考えてみて欲しい。イベント一つで19秒毎にバスが行きかう光景は寧ろ「カオス」の一言に尽きる。そして日本万国博覧会最大にして最高記録を叩き出した9月
5日835.832人が会場に押し寄せ、阪急・北大阪急行の終発が出た後も北大阪急行は1時20分まで阪急は2時までミッドナイト運行を行い、阪急に至っては神戸線・宝塚線のほぼオールナイトに近い運行で乗客を捌いた。
翌日は17時以降の入園を取りやめ、北大阪急行は千里中央止め万国博中央口まで回送車として運行したという。それでも会場内では秋風に吹かれながら一夜を過ごしたものも居たという。
そういう事もあり大なり小なりのトラブルやパニック等を起こしつつ大阪にとっての栄光の183日間目の1970年9月13日閉幕となった。
当時を知る人はアラフィフ以上の世代になると思うが、日本、それもクロワッサンのような形をした大阪の北側の千里丘陵でこのような大イベントが開催されたというのは、今でも万国博記念公園にどっしりと佇む「太陽の塔」
今、彼は大手を拡げてポツンと佇んでいるが来るEXPO’25をどう思っているだろうか?

何もかもが後手の周回遅れのEXPO’25

今、大阪市此花区夢洲にいそいそと準備工事をしているEXPO’25だが、辛口で一言言うなら…
「スタートダッシュから出遅れ周回遅れ。時間機関のロスも多すぎ。しかもしっかりとしたマスタープランさえできていない。万国博を行うなら遅くても5年前から準備すべき」
元々夢洲は大阪フェニックス計画で粗大ごみやスラッジと土砂で造られた人工島で一応交通手段は桜島駅又はコスモスクエア駅から出ている「北港観光バスドリームライン系統」で唯一の停留所「夢洲中央」である。コンビニも1つ「セブンイレブン」があるのみ。後、この島の1/3をコンテナヤードが陣取っている。未だ埋め立てられていないところもあり、これから迎える夏で地中に堆積してるメタンガスを排出せねばならない。コレが未だ5年前の段階なら未だ許せただろう。しかもEXPO’25が大阪に決定したのは2018年。しかしEXPO'25まで1年を切っているのに、本来ならパビリオンが完成し、夢洲にターミナルが出来、後は細部の工事を追えれば完成間近と言う段階でなければならずにだ。途中新型コロナ禍があってもその2年前にはマスタープランを立て工事に着手してもおかしくはない。なぜこんなに後手に回ってるのか不思議で仕方がない。開催関係者の中にはEXPO'70やEXPO'90などに行った事やそれに携わる人が居たはず。なのにこの体たらく。市民の関心もあまりなく「全ては万国博の為」という一致団結する気配さえない。どこかに「気の緩み」があるのではないかと思う。EXPO'70で公開された「人間洗濯機」も実用段階になり、人々は片手にスマートフォン、電気を動力にしているバスやバイク、車も実用化されている。夢の一人部屋も実現済み。光回線が街を巡らしリアルタイムで情報も入る。EXPO'70の未来予想図は間もなく完成する。しかしEXPO'25の遅々とした工程は?IRの件も2029年まで「解除権」があり、そのカードを切ったら大阪には何が残る?
IR=カジノと言った短絡思考を持った人も居るが、ここで大阪市・大阪府が重い腰を上げ「IR≠カジノ」(IRはノットイコール)という証明を示して貰いたいと切に思う。拙は「アッと驚く第二次大大阪時代」を期待している。
                        2024年5月7日
                        坂本豆廼丞筆

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