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歴史を学ぶことで得られる能力(「歴史の授業の受け方」の補足)

本記事はこちらの記事の続編となっておりますのでこちらを先に読むことをおすすめします。

序論

 前回の記事では、歴史を学ぶ意義は学ぶことで得られる能力が社会で必要とされる能力であるということを書いたが、具体的にどのような能力かという整理に欠いていたため本記事で補足する。

本論

 歴史を学ぶことで鍛えられる能力は次の二つである。

  1. 事象に対して多角的かつ連続的な視野で分析にあたる能力

  2. 副次的または断片的な情報から一次的かつ全体的な事象を想像する能力

第一節

 1については前回の記事でも触れたが、社会を分析しようとした時、様々な要因が長い時間に渡って掛け合わされて社会は動いており、それらを総合的に分析しなければならない。そこには時間的な文脈という視点が少なからず存在しており、社会を継続させようとした時にはそれらを無視することはできない。大小は様々であるが、会社や団体、共同体を経営したり、主導する局面に出くわすことは多々ある。そういった時に時間的文脈を軽視することは許されない。
 この社会分析において重要なパーツの一つである時間的文脈を認識する力を歴史を学ぶことによって養うことができる。この能力によって何を壊して何を残すべきなのかという経営的な感覚が磨かれるようになるのだ。

第二節

 次に2の副次的または断片的な情報から一次的かつ全体的な事象を想像する能力について解説していく。
 人は生きていく上でしばしば人から聞いた情報だけで物事を判断しなくてはいけないことがある。現代のように世界中のことが生活に関わるようになれば尚のことである。そういった状況の中で自分がこの目で見たものしか判断材料とすることができない状態は生きていく上で非常に窮屈である。そうならないためにも各所から副次的な情報を集めて物事を判断しなければならないが、ここで問題となることがその情報の質である。情報を又聞きするということはその情報の発信者の主観から逃れることはできない。その中で一次的な事象を副次的な情報だけで想像するためには、情報発信者の主観を取り除かなければならない。さらに実際に事象を観察することができだとしても所詮一個人で観測できる限界はその事象の一部であり、そういった限られた情報から全体像を想像しなければならない。そういった情報リテラシーの一部を磨くことが歴史を学ぶことでできる。
 歴史の分野においては当然のことながら、一次的かつ全体的な事象に触れることができない。それ故に日記や書状といった史料などの副次的または断片的なものから一次的かつ全体的な事象を想像することが主に必要とされる。これは他の分野にはあまり見られない作業工程である。すなわち他分野では一次的かつ全体的なものが示されていることが論の前提となっているからである。ゆえに、この情報リテラシーを養える機会は歴史を学ぶ以外では希少である。

結論

 以上に見てきた通り、歴史を学ぶことによって得られる能力は少なくとも現行のカリキュラムでは歴史を学ぶことによってでしか得られない能力である。それでいて社会に出てからは当たり前のように必要になってくる能力である。こういったことを意識して歴史の教育を受けてみると授業の時間を有意義に過ごせるのではないかと考える。
 
 ここまでの御精読ありがとうございました。読了後は忌憚のない意見をお寄せいただきたいです。また、既にどこかで誰かが似たようなことを発表しているなどの情報がありましたら、今後の糧となりますので是非教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

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