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88歳と36歳の女子会

毎朝、庭の植物にお水をやり、花がらを摘む。
その鋏の音を聞くのが、そんな私を眺めるのが好きなのだと、近所の佐藤さんは言う。

佐藤さんは米寿を迎えたおばあさんだ。
私がこの土地に越してきた10年前から、いつも気にかけてくれていた。
私はこの土地に引っ越してきたけれど友達も知り合いもいなく、夫も転職したてで忙しく、孤独な育児生活を送っていた。
私の実家も夫の実家も頼れず、本当に一人で幼い年子姉妹を育ててきた。

ついでに言うと私は派手なタイプなので、この少子高齢化の時代に引っ越してきた最年少の夫婦が派手だと地域で浮いた、と思う。
若い人もいないのに、ましてや明るい髪色ってだけで目立った。
そんな私に声をかけてくれたのが佐藤さんだ。
「あなたの髪色すてきね、
私もその色のウィッグが欲しいわ」と。

佐藤さんはステキなウィッグをつけているし、オシャレだ。
年齢の割にハキハキ喋るし、笑い方が豪快で気持ちがいい。

私が庭で子供たちを遊ばせていたり、庭いじりをしていると佐藤さんが話しかけてくれた。
私の子供たちも佐藤さんが大好きだ。
そんな佐藤さんとする、立ち話の”女子会”が好きだった。

「傍から見たら子供たち可愛いけれど、ママは大変なんでしょうね。
あなた大丈夫?疲れてない?寝れてる?」
と、いつも私の心配をしてくれた。

「今の時代は育児も大変そうだわ。
昔の方が子供も多かったけれど、気楽にやっていた気がするもの。
あなたは本当によく頑張ってるわ」
いつも褒めてくれた。

「辛い時はいつでも言ってね。
それにね、育児ノイローゼみたいになったら、家を出なさい。
10分でも20分でもいい。
火の元だけ消して、出なさい。
一人でお外の空気を吸うだけで違うから」
インターネットには載っていないアドバイスをくれた。

大げさではなく、私は佐藤さんの言葉がなければ育児ノイローゼになっていたと思う。
深夜、一人で夜の空気を吸いに外に出る。
それだけでリフレッシュできた。

「あなたが素晴らしいから子供たちが優しい子に育ったのよ。
私の孫みたいな気持ちになるわ。
ごめんなさいね、ひ孫どころの年齢差じゃないわね」と笑う。

「私が子供の頃はね、戦争なんて始まっちゃって。
疎開できたからよかったけれど、でも大変だったわぁ」
と、昔話を聞くのが好きだった。

「毎日がんばってるのね」
と、お菓子をくれたりした。

「いつのオリンピックがいちばん記憶に残ってます?」と聞くと
「何回オリンピック見たと思ってるの?」と突っ込まれる。

これまでも何度かがんの闘病や、脳溢血も乗り越えたらしい。
でも今年に入ってから、心臓の疾患も見つかった。
めっきり佐藤さんが家の外に出る時間も減った。
さみしい。

子供たちは毎朝、そして家に帰ってくると佐藤さんの家に手を振る。
たまに室内からこちらを眺める佐藤さんが見えるらしい。

「今まで大病してもね、気にならなかったのよ。
死ぬ気がしないしね~って。
でも今回ばかりは、もう終わりだなって感じるのよ。
延命しないと主治医にも伝えたわ」

「12人兄弟で育ったからね、私は子供は一人でいいと思ったの。
悔いのない人生を、と思って生きてきたけれど、もうすぐ死ぬとなるとやっぱり子供が多い方が良かったって思うのよ。
息子もまだまだ頼りないから、私が死んだ後に支え合える兄弟がいたらよかったかなって」

「もう90近いのよ?
淋しがってくれる事は嬉しいけど、もうじゅうぶん生きたわよ。
いつ死んでもいいの、悲しいことじゃないのよ」

「あなたの咲かせる向日葵もコスモスも好きなのよ。
今年も見たいなーって思うのはワガママね。
忘れてちょうだい」

先月会った時にしてくれた話だ。
彼女はもう覚悟をしている。
でも、私はできていないのだ。
救急車の音が聞こえるのが怖くて仕方ない。
今もこれを書きながらめそめそ泣いている。

この10年、月に何度かの立ち話。
たくさんしゃべって、たくさん聞いて、たくさん笑った。
私がここに越してきてからの生活は、佐藤さん抜きでは考えられない。

まだお礼もしきれていない。
たしかに寿命と言えばそれまでかもしれない。
今じゃなくても、いつか確実に訪れるお別れが怖くて仕方ない。
会えなくても、話せなくてもいいから生きていてほしいと思うのは私のワガママだ。

彼女に向日葵もコスモスも見てもらえるように、私は今日も花を育てている。


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