わたしのふるさとはどこ?

出身はどこ?
と聞かれるといつも戸惑う自分がいる。

生まれたのは岩手県。
10歳まで住んでいた。
3人兄妹だけど3人とも生まれた場所は違う。
私は海外赴任していた家族が帰国・岩手に移住してすぐに生まれた。

じゃあふるさとは岩手でしょ?
そうなんだけど。
私の実家は岩手にはない。
血のつながる家族は誰も住んでいない。
今だったら気軽に遊びにいけるはずだけど
小学校5年生当時の私は一人で簡単に岩手に帰ることもできず。

ずっと岩手が恋しい思いを抱きながら
大学生になってやっと岩手に一人旅した時
”あっ見覚えがある”
って瞬間よりも
”知らない”ことが多すぎて。
嬉しいけど悲しくて。 
楽しいけど切なくて。
そこに見えたのは、わたしのいない時間。
わたしの知らない時間。
わたしが過ごしたくても過ごせなかった時間。

それから、4~5年おきに引っ越している。
実家が引っ越したのが4回
自分の進学で引っ越したのが4回

転勤族の方の引っ越しはきっとこんなものではないと思う
でも私には十分すぎるくらい心が揺らぐんだ
拠り所がないんだ。
少なくともわたしの兄と姉は同じ境遇だ
家族はわたしたちは遊牧民だという
世界を知れるって幸せなことなんだ。
でも出会った分、別れがある
懐かしい地に足を踏み入れた時
帰りたいと願った気持ちが大きければ大きいほど
そこにいなかった時間が思い出されて
そこで過ごせなかった時間が感じられて
悲しいんだ。

そんな私に神さまはさらに試練を与えられて
博士課程に進学した先で1年で引っ越すことになった
やっと環境になれたのに、
この街を好きになりかけていたのに
なんで神さまはまた私に新しい地を与えられたんだろう。

引っ越してから2ヶ月半
研究室の引っ越しの続きがあって久しぶりに帰ってきた
久しぶりに帰れると思うとあんなに嬉しかったのに、
いざ帰ってみると、なんだか寂しい気持ちでいっぱいになった
そんな切ない気持ちになるんだったら
もうしばらく来ないほうがいいかもってそう思った。

でもそうじゃないかもしれない。
私は思い出に囚われていたけど
ないもの、自分がもてなかったものに、目を向けてしまっていたけど
あるものに目を向けたらいい。
自分のなかに探すのではなくて
自分が知らない世界を
もっと目を見開いて
心をopenにして
たくさん息を吸って
いっぱい感じて
私にとっての”この街”は訪れるたび、更新していけばいい
自分の歩んできた後ろに続く道を振り返るのではなく
これから前に続く道を
私なりに描いていけばいい。

その途中でまたいろんな出会いがあって
好きなヒト・モノ・コトに出会って
そうして自分をもっと広げて
もっと自分の人生を豊にしたらいい。
今回の旅だって、新しい出会いがあったじゃん。
すっごいオシャレで居心地のよいホテル・明るくかわいい後輩ちゃんたち
・学生想いのやさしい先生たち・美味しいごはん・優しいお医者さん

だから、失ったものばかりじゃない。
考え次第でもっとたくさん得られるんだって、
別れはむしろ豊かなみのりを生んでるって
神さまは教えてくれているのかもしれないと思った

ありがとう。


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