見出し画像

星一徹の晩餐あるいはアーティチョーク

 星一徹は、息子の飛遊馬に、一度だけ、レストランでご馳走をふるまったことがある。 普段は長屋で貧乏暮らしをしている飛遊馬にとって、その日の父の行動は、首をかしげるには十分なものだった。星一徹は、今日で最後だから特別だという。

 その後、星一徹は飛遊馬の入学した青雲高校の野球部の臨時コーチとして現れ、容赦なく飛雄馬の弱点を暴くことになる。持ち前の剛速球であっても、ストライクゾーンにしか投げない、バックの守りを信用しない投球であると。紅白戦の敵側を率いて、飛雄馬のピッチングを完膚なきまでに叩きのめすのだった。それをきっかけに、梶原一騎描くところの親子の戦いが始まる。実は、星一徹の晩餐は、飛遊馬に対して、親子の訣別の儀式だった。少なくとも父一徹はそう思っていた。

 どのような家庭環境で育った方であっても、自宅で食べたことのないものを食べたとの体験は、鮮明に覚えているのではないだろうか。それは、友達や親戚宅でふるまわれた、母親が作ったことのない西洋風料理かもしれないし、ピザ、カルボナーラ、あるいは、上京して食べたマクドナルド、吉野屋の牛丼かもしれない。 いずれにしても、未知のご馳走を食するとは、いごこちのよい生まれ故郷を離れる希望と悲嘆が相まって、味覚を思い出深いものにするのではないだろうか。

 他人の飯を食うとは、独立して世間の世話になることを例えているし、所帯を持ち、奥さんに食事を用意してもらうとは、食生活と味覚を無防備に面従することだからである。 もっとも、星一徹のように、息子の独立のイニシエーションとして、レストランで大盤振る舞いするという話は、「巨人の星」が時代設定された昭和四十年代でもほかにはあまり、聞かない話ではある。

「巨人の星」のそのレストランのシーンでは、飛遊馬は、ディッシュに添えられたツルツルすべる丸い食材が、フォークでなかなかさばけない。そもそも父ちゃんの意図が理解できないので、いよいよ苛立ち、ボーイに箸をくれと、レストランに慣れていないことを周囲に露呈してしまう。星一徹はだまって口元に笑みを残して何も言わなかった。 レストランでの食事の経験のない自分にとっても、その食材が何だったのか、長いこと疑問に思っていた。もっとも、肉の丸焼きといえば、おそまつ君にでてくるあの、原始人の棍棒のようなリブが空想された時代である。
 
 梶原一騎氏の原作には特に説明もなく、作画の川崎のぼる氏の想像力で、あのツルツルしたサトイモのような食材を描き込んだのであって、それ以上の具体的な料理も材料も、根拠はなかったのではないだろうか。いずれにしても、レストランで食事をとるとは、どうやら、大人のテーブルマナーを駆使しないと、成し遂げられない行為であることをおぼろげながら理解したのだった。

 その後、「巨人の星」を読んでから何年かして、僕も父にレストランに連れられ、飛遊馬と同じくレストランデビューを体験する機会を得た。旅行なるものに、世間並に連れていってほしいとせがんだのだ。どこか観光地のレストランだったと記憶する。果たして、注文したディッシュの上には、「巨人の星」で見たようなツルツルした添え物はなかった。テーブルマナーに関して言えば、きちんと、フォークを落とした。それは、拾おうとする前に、ウェイターに交換された。
 
食材は謎のまま、というか、そんなことはすっかり忘れて三十年近くたった。さて、アメリカ合衆国のレストランにでかけて、メインディッシュを注文すると、添え物でよくアーティチョークをみかけた。だされたものは何であっても食べるのが身上ではあるが、大味でちょっと不気味な外観と風味はあまり得意ではなかった。実は、アーティチョークはアザミの蕾である。外観はまだ青く巨大な松ぼっくりに近く、青臭く、歯ごたえは、ゆりねか竹の子に近い。アメリカ合衆国のメインディッシュがマヒマヒでも、ラムでも、それはそれなりにおいしいのであるが、アーティチョークだけは、何度食べても、コリアンダーのようには、うまいと思い至ることはなかった。何しろ、本体はあのトゲだらけのアザミなのだ。

 今から思えば、巨人の星のあのレストランのシーンでステーキに添えられた食材は、料理大全か何かをひもとけば、アーティチョークであった可能性が高い。昭和四十年代の日本で入手容易であったかどうかは別としても、ステーキ料理の横に並べられる正統性を継承しているのだから。

 星一徹の晩餐に何らかのメッセージを読み取ろうとするならば、うまい話には、必ずまずいものがついてくるという長屋の落語的オチかもしれない。あるいは、箴言めいて言えば、希望と悲嘆は表裏一体であると、ゴージャスなステーキの横についてくるアーティチョークは語っている。そんなことを思い出したのも、日本に戻ってから十年もたった、ついこの間のことである。

 夏休みの家族サービスは、これで全て、と公言して、子供たちをビュッフェスタイルのレストランに連れて行った。消える魔球の秘密から大リーグボール三号がどのようにして打たれたかをトウトウとして話すのを横目で、もうローストビーフは飽きたとばかりの表情は、現代が星一徹の教えを実行するには困難な時代だと語っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?