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京住日誌 17日目

 いつもの時間に起床した。まだ朝刊の更新時間まで時間があったので、さて何をしようと思っていたら、そのまま意識を失って気がついたら7時過ぎ。珍しく?二度寝してしまったようだ。慌てて簡単な朝食を取り、デジタル新聞に目を通す。シャワーを浴びた後、お勉強タイム。こちらに来て手に入れた本が電子書籍を含めて溜まりに溜まっているので読み通すべき本かを判断することにする。
 まずは「京都の中世史5 首都京都と室町幕府」(吉川弘文館)を開く。専門的な学術書とまでは言えないが、比較的お堅い?本だ。ただし、目次を見ると今の僕の関心に沿った見出しが並ぶ。
一「室町時代の国かたちと幕府の支配」、三「守護制度とは何か」、五「首都の統治と五山禅宗」八「室町社会と酒」などなど。とりあえず、これらの章を30分間斜め読み。この限られた時間で掴めたアウトラインは次の通り。
①室町時代京都の人口は推定困難であるがおよそ10万人。それでも他の地域に比べると圧倒的に都市化されていた。
②南北朝時代の動乱を終息させるため、宗教的施設の造営事業を中心に置いた軍事政権であったこと。
③②の財源を各地の守護役に求めたため、相対的に守護役の発言権が大きくなったこと。
④15世紀に入り、三代将軍義満が明との国交を回復・貿易の再開が室町幕府に莫大な利益をもたらし、この貿易が初期室町幕
府の財政を支えたこと。
⑤女性に土地の相続権はなかったこと。
⑥明との貿易が中止になったり衰微した後は、都市を中心としたさまざまな課税が実行されたが時として幕府の首を絞める結果   
になったこと。
⑦応仁の乱以降、京都の人口減により経済規模が縮小していたこと。
⑧室町幕府の守護在京制度はそれ以前の制度とは質的に異なること。
⑨室町幕府は時に強訴を仕掛ける顕密諸宗に頼らず抵抗なく僧侶を動員できる禅宗を重視したこと。
⑩室町幕府の恒常的な財源としては土倉酒屋役(金融業・酒造業に対する課税)であったこと。
 30分と言いながら1時間以上経過。そして次は「応仁の乱と在地社会」だ。一次資料をふんだんに使っているおり、専門性は高く内容的にも難しかったが僕の興味と一致していて面白く読めた。目次から目を通したのは第一章「応仁の乱と山科七郷」、第二章「山城国西岡の応仁の乱」、第三章「応仁の大乱と在地武力」第六章「いなかー京の情報伝達と応仁の乱」を要約する。
①当初戦場は上京であったが東西陣営に分かれたこともあり、京都各地は各陣営からの要求(主に兵糧米の供出)に苦慮した。 
状況によってはどちらかの陣営に付いて参戦しなければならなかったこと。
②応仁の乱が勃発すると東西各陣営は在地国から軍隊を上洛させた。その際西岡(現在の西京区、長岡京市、向日市の一部)の 
 地侍はそれまでの細川との関係から東軍を支援した。具体的には西軍の部隊は押し返し、東軍の部隊は市内の陣営までの案内 
人を務めたのである。
③両軍とも情報収集や策略に余念がなかったこと。それは一次資料からも伺えること。
④応仁2年(1468)西軍の畠山義就は山城国各地に対して(既に東軍の山名是豊という守護がいたが是豊は宗主山名宗全との関係から東軍に寝返った)「山城国守護」の宣言を通知した。京都各地は東西どの陣営につくかあるいはどの陣営にもつかない 
かの選択を、迫られた。
⑤応仁の乱以前にはあったいわゆる田舎との情報交換が乱以後激減したこと。
 特に面白かったのは③だ。紹介されたのは応仁2年九月にみえる「経覚私要鈔」の記事で、要約すると次のようになる

東軍の赤松勢が南禅寺に兵糧を要求してきた。南禅寺は西軍に通じていたので相談すると「考えがあるからそのまま受けろ」の指示。そこで南禅寺側は要求を呑むと返信した。すると赤松側から「その兵糧を陣所に持ってくるよう」要求される。南禅寺側は「西軍の手前、それは難かしい。無理に押し入って奪ったようにしてくれ」と答える。これを真に受けた赤松方は300の兵士で兵糧を受け取りに行ったところ門が閉まり、西軍の部隊が押し入り、赤松方を皆殺しにした。
「経覚私要鈔」(応仁二年九月二十日の条)

 具体的に戦争については何の知識もないが情報や策略が時に勝敗を左右するのは今も555年前(今年は1467年西陣が築かれて555年の節目の年)も変わらないのだろう。その他専門書を2冊目を通して、読了した通俗?歴史小説「乱都」(天野純希 著 文春文庫)「血と炎の京 私本応仁の乱」(朝松健 著 文春文庫)をもう一度パラパラめくる。どちらかというと少しアカデミックな内容に惹かれるが、人間関係その他が入り乱れている応仁の乱に関して言えば、通俗歴史小説はその流れを掴むのに大いに役に立つ。ただ、時に内容があまりに正史とさせるものと大きくかけ離れることがあり、扱いは慎重でなければならない。そして時に荒唐無稽な描写に思わず吹き出してしまうことがある。例えばこんなふうに。

伴内の命令に十歩は黙ってうなずくと、身を低くして手裏剣を構えた。対岸に向かって矢を番える一隊に物陰から狙いを定めた。  定まるや否や、 「五月雨」  呟いて両手を振った。  二十本の手裏剣が闇に舞う。  五本の手裏剣は急な弧を描いて高く飛んだ。  別の五本は対岸に向かって夜を貫いたと見えた。さらに五本は南に流れ、他の五本は山名館へと飛んでいった。 (何をしている? すべて外れでは……道賢は眉をひそめかけ──次の刹那、目を瞠った。高く飛んだ手裏剣が突然、空中でくるりと急旋回したのだ。五本は五つの方向に進路を変えながら、川岸で弓を構えた兵たちへと飛んだ。十名を越える弓兵が同時に動いた。 動いた理由は全員違っていた。 弓弦を横から飛んできた手裏剣に切られた兵、背中に手裏剣を受けた兵、弓を構えた手の甲に手裏剣が命中した兵、横並びになった二人の兵は左右別な方向からの手裏剣に、それぞれ横首を刺されて即死した。──そのような動きで十人以上もの弓兵は一瞬で戦闘不能に陥っていた。 弓兵に共通する特徴はただ一つ、異なる方向から飛んできた二十本もの手裏剣にやられたということであった。
血と炎の都  第二篇道賢と宗全

 流石にここまでいくと「いくら何でもモノには限度があるだろうよ」と思ってしまう。一種の娯楽小説だからこういうエンターメント性も必要なんだろうけれど。
 こうしてジャンルを問わず読書をしていると自分の好みを知ることができる。僕は正史よりも裏話的な内容に、ヒーローよりは反ヒーローに、そして応仁の乱下の名もなき市井の人々に興味を惹かれるようだ。形にするとしたらそのような内容にしたい。

 ちょっとだけよのつもりが興味に任せて読んでいると昼も大きく過ぎている。腹ごしらえと気分転換を兼ねて、ニ条上るの町中華へ。柏の狂人、ではなく京人(京都が大好きな人のこと)大ちゃんから勧められた店だから悪いはずがない。
そして注文したのが名物の焼きそば。

別名カラシソバ

 メニューには単に焼きそばとあるが、硬メンに野菜の餡掛け。事前の情報では酢と辛子が効いてピリ辛とのことだったけれど、少し物足りなかったので、酢と辛子を追加。横に取り皿がついてきていたので、取り分け自分なりの味にするのがここの流儀なのかもしれない。大ちゃんがお勧めするだけあって町中華として、近所にあれば週一で通いたくなる店だ。だから僕も来週又来て今度はやはり名物のクワイ入りしゅうまいも注文してみよう!
 その後は一保堂茶舗に立ち寄って薯蕷饅頭と新茶を楽しんだ

新茶どすぇ

 十分油を売った後、15時前にホテルに帰り、読書の続きをした。よく考えたら、今日は本しか読んでないね。

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