人生について、とりとめのないこと

物心ついた頃には、父も母も家にはいなかった。

父は…オブラートに包むと、社会的にあまりよくないことをする会社を経営していたらしい。因果応報というべきか首が回らなくなり、借金を残して蒸発した。

必然的に母に引き取られることになるのだが、母も母で「良い母親」にはなりきれなかったようで、私と弟を実家に預けてどこか違うところに住んでいた。
母方の祖母は私の歳がまだ1桁の頃に亡くなった。
結果、私は子どもの頃、母方の祖父と弟の3人暮らしだった。

祖父が病気を患い、私たち姉弟の面倒を十分に見れなくなるまで、母は週に1回しか家に帰ってこなかった。
それも、お昼前から寝る前の間だけで、家で寝泊まりすることはなかった。「父(私の祖父)と性格が合わないから、友達の家に居候している」とのことだった。小学生くらいの頃は、母が恋しくて泣いた夜が数え切れないほどある。弟もそうだったと言っていた。

明らかに健全な家庭ではなかったけれど、満足に生活はできていたのだから、ネグレクトではない。
父も母もそばにはいてくれなかったけれど。父にも、母にも、どうしても子育てできない事情なんてなかったけれど。
私と弟は、そこそこまともな大人に育った。
弟にまで「そこそこ」をつけちゃうと悪いな。まともな大人です。弟は、立派な社会人です。

私はというと、適応障害で2回休職したり、アラサーにもなろうというのに夢女子を拗らせていたりしますが、なんとかちゃんと自立して社会の中にいます。

今後、自分が結婚して子育てをするビジョンが見えない。相手云々、一旦、夢女子をしていることは置いておく。
「家庭」に対する理想が高すぎる。絶対に離婚はしてはいけないし、絶対に子供にさみしい思いをさせてはいけないし、絶対に子どもにお金の心配をさせてはいけないと思っている。
私は、子どもの頃、とにかくさみしかった。そのうえ、貧乏だと叩き込まれていたから、お金の心配をしていた。上を見てもキリがないのはわかっていたけれど、まわりの子たちが羨ましくてしかたなかった。
自分の愛しい存在に、こんな思いをさせてはいけないと思う。させるような親には、絶対になりたくない。
きっとどんなに恵まれた環境にいても、それぞれ不満はあるだろう。そして、子どもと私は別の人間で、その子の「幸せ」なんて、私の物差しでは測れないことはわかってる。
それでも、せめて、何事においてもせめて平均(以上)を提供できる自信がないと子どもなんて育てようと思えない。
幸せにできる土壌がないと子どもを育ててはならないと、強迫的に思っている。
自分の親への恨みに近いなあ。

話は変わるが、昔々に蒸発した父と昨年再会した。急に実家が太くなることって、本当にあるらしい。今は父が用意してくれたタワマンで一人暮らしをしている。本当に、意味がわからない。まわりにはパパ活を始めたと思われてそうだなあ。パパはパパ(実父)なんだけど。
人生、どうなるかわからなさすぎる。
今後も、急によくわからない方向に転がっていくのかもしれない。


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