見出し画像

ヒエラルキー日本

核家族と言われる世代である。
親世代は血筋を大切にしていて家長の次は
長男が任されるしきたり?があった。
そのためか女子しか産まれなかった事に
母は妻として不甲斐ない思いでいたようだった。それは家という規範がしっかり築かれていた時代でもあったから特に疑問なく過ぎていった。現在と比べると理不尽なことも多い。家長は絶対君主で女性蔑視的で、
花嫁修行として華道、茶道などを習わせることが普通にあった。それが嫁入りの条件に入るのだから改めて驚いている。当人の好き嫌い以前のことだからずいぶん酷いことのようにもおもう。でも親たちは必死になって
子どもの独り立ちを支えてくれていた。
そのために働いてくれていたことは
ずっとあとになって知るわけだが…
東京にながく住みだしたのは
この地で家庭を持ったからで、、結婚するに至ってからは家長の父の独壇場だった。
子どもの結婚というより親の結婚式といったほうがいい…みながそうした時代が確かにあった。両親ともに喜んでるのだからそれが幸せな形だと思っていた。どれだけの費用をかけたのかは知らないままに…
ふた親とも他界してずいぶん年月が経ってから引っ越しするための荷物整理をしていた時に思いがけないノートを発見する。
自分が結婚準備のためにつけていたものだった。その中に北海道から招待した親戚たちの宿泊したホテルの領収書がはってあった。
父が手配したものだが京王プラザホテルの
和室に泊まってるではないか!!
ぜんぜん知らなかった…まだ京プラは新しくて檜風呂つきの和室!!ずいぶん奮発していたことに驚いてしまった。旅費も車代として渡していたと推測する…よく頑張ってくださった。また夏には子どもたちを連れて帰省すると庭が遊園地に改造されていたりしていて、、いまでも
子どもたちの記憶の中には鮮明に残っているようだ。夏の終わりにしたいが…終わりそうにない今年の夏とともに汗かきかき思い出に少しひたってみたりしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?