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非常持ち出し袋

旧盆の出鼻をくじかれた感じかも…

まだ渋沢さんにお会いしていません。
津田さんにはお会いしてちょうど孫娘の
誕生日だったのでお祝いに贈りました。まだ
4歳ですから意味は分からないでしょうが
女の人であることは気づくはずです。
今の時代になってフェミニズムという言葉も普通に使われるようになっていますが、、
津田さんがまだ7歳にして留学生として渡米したのですから驚くばかりです。お姉さんは
嫌がったのにです(その方が普通の時代)
勧めた父上さんの世界を見据えた考え方も近代的であったでしょうが、親心としては勇気ある決断であったと思います。母上さんは
とくに心配しかなかったはずです。。
そんな津田さんは、だいたい直ぐに手元から離れる紙幣なので…当時の時代を教育で変革していった女性が気になりだしました。

そして思い出したことがあります。
大正生まれの母は両親ともに早逝したことで
養女として育ちました。父方の伯父さんの家で、養母は血縁はありません。その養母さんが大妻学院(現大妻女子大学)創立者
大妻コタカさんの学校の教師をしていたのです。母の話しではとても厳しい人だったようで家庭でも教育者としての暮らしだったのです。会うことはなかった祖母なので母から聞かされた記憶すら曖昧でしたが、、私の姉は良く覚えていて、祖母が暮らしていた北海道でも辺ぴな所へ大妻コタカさんが訪れたということなのです!教育者として啓蒙旅をしていたのでしょうか??あらためて大妻学院の学びをみると家庭科の基本となる学校です。
そんなことより母の「怖かった…怖かった」しか無かったので、ただ今になってみると
母が私達の服を作れる人で、、
新聞紙を型紙にしてふつうに取れて、ブツブツ言いながらもちゃちゃっと仕立ててしまうのです。夜なべしながらですからいつ寝てるのかなぁ~と子供ごころに思っていました。
洋食も作っていて「母さんが、こうすれば良い。と言っていた」とか…記憶の断片が
津田さんがきっかけで思い出されます。
明治から大正にかけてですから凄い女性たちがいたのですね、、
もうひとつ思い出しました!
母が使っていたのは鯨尺という物差しです。
へぇーです!!


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