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甘酸辛苦渋

色んなとこがギシギシしだして…
痛み止めを飲むことになってから
アルコール類が飲めなくなった。
近くにはクラフトビールのお店が
嬉しいことにあるので休み前には
グラウラー持参して
タップから汲んでくるのがお決まりだった。
その楽しみがあっという間になくなってしまった…
もう8、9年ぐらい経ったクラフトのビールとのお付き合いはローカルカルチャーであったと思っている。酒造免許緩和が大きな変化であったが、ポートランドスタイルが一気に注目されだした。マイクロブルワリーという名のもとに。。クラフトビール研究家ではないので、、
いい加減な説明ではあるけれど、、今までの生業を捨ててでも起業する魅力があったのは否めない。醸造家の好みひとつで発酵するビールは独壇場そのものだし、大きなところとは根本ちがっていること。そして1番は、
美味しいものなのか?ということになる。
そのころは、コミュニティーという言葉がひとり歩きしだしたこともあって、ドランカー達とホップ育てて収穫したのを集めて醸造するってことも実現した。いまではグリーンカーテンにもなってて真面目に社会貢献までしている。
地ビール意識で町おこしのように作るとこもあったり、クラフト意識は一気に加速して
気がつけば飽和状態。
その熱の未来は煮詰まったとこに
ほんとのクラフトビールの行方があるのではないか、、大きいとこに回帰したりしながら
飲ませ方の工夫までも感じさせる作り方は
やはり途方もない時間があったわけだし…

きょうは
ふと父は何を飲んでいたのだろう?
晩酌は欠かせなくて日本酒一升瓶が傍らにあった、、北海道なので男山?ではないな~
北の、北の、、北の誉辛口のはず!
そしてもうこのメーカーは無くなっていた。
幻の酒には
酒乱になる父の嫌な思い出しかないので
気にもしていなかったが…
その当時の北海道米で作っただろう
日本酒はうまかったのだろうかー

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