見出し画像

大学軟式野球部の運営

1年間(?)大学軟式野球部の主将をやっていて、選手としてより運営に手を焼いてた記憶が強かったですね。
いざ引退直後に振り返ってみると、自分にしては事故なくやれた方なんじゃないか……?と浸ってました。こういうのよくないですよね。

ただでさえ謎の部分が多い弊学の課外活動。どんな運営やってたのかというと

弊部は顧問の先生もいない(名前はある)ので、とりあえず全部学生主体。
となると野球やる以前にこなさなきゃいけないことが多々あるわけで、そこにコロナウイルス…って感じでした。

・大学側と活動できるできないの交渉。
・コロナや工事で大学構内立ち入れないので、各市営球場に出向いて活動場所の確保。
・チーム道具の管理。
新入生や新部員との交渉。(計15人くらい?)
練習・練習試合・大会の日程調整。
部員の出欠管理。
部費以外のお金管理(ユニフォーム発注や立て替え、グラウンド代、保険代)
大会運営日の運営メンバーの確保。(塁審・スコアラー。ウグイス嬢)
部活関係で公欠は一切出ません(僕は補講とかでカバー)

野球やる以前に少なくともこれだけやって、当日雨降ったらパー。コンディション不良でもパー。緊急事態宣言出たらパー。集まり悪いと色んなことが中途半端で終了。

そしてそれらをクリアしてやっと勝ち負けだったり練習メニューとか自分のプレーがあるわけで…

最初は色々背負い込んでましたけど、コロナが少し収まってから徐々に対面で話す機会が増え、ある程度は部員と相談しながら進めてくことが可能になっていきました。

それまではほぼSNS上でのやり取りで自分が進めるしかない状況だったので、これ直接話さないと駄目だわ…ってものは存在するよなぁと。

草野球チームに抵抗を感じるのは、いつかは運営面の比重が大きくなって野球と楽しく向き合えない状態になる事を恐れているからです。

でも、充実していました。うっかりミスは超多くても手は抜きませんでしたし(立場上できません)
それは自分の性格にも程よく合致していました。

コロナの分余計に大変でしたけど、その分助かったことも多かったのは事実です。終わってみればコロナとの付き合い方を学べる良い機会でした。ちゃんと面白かったし楽しかったです。

最後はもう最低限活動できて大会出れれば、ってとこまできてましたし、相手チームとか傍から見るとどんな印象だったのか気になるところです。

※あくまでも弊学弊部の事情なので、こういうのは団体ごとに違ってくると思います。できれば他の団体のこういった苦労話も聞いてみたいですね。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?