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人生が辛いのはやっぱり思い込みのせい

前回の記事を書きながら
どうして仕事休めなかったんだろうってことが気になって考えてみた。

小学生の頃
学校に行くのが嫌だった。

不登校気味だった時期がある。

学校に行かないと
親に怒られるし、先生から電話がかかってくる。

学校行きなさいっておしりを叩かれながら怒られていた記憶は今でも鮮明に思い出せる。
それでも行かずに親の仕事に向かう時間になると
もう仕事に行くからって怒って家を出て行った。
悲しかったのか、呆れていたのかどんな感情だったのかはわからないけど
喜んでいないことは確かだった。

久しぶりに学校に行くと休み時間を使って、
先生が自分一人のために漢字を教えてくれたり、
友達がノートを見せてくれたりした記憶がある。

自分がなんでそんなに学校に行きたくなったのかは正直思い出せない。

思い当たることといえば
仲の良かった子とクラス替えで違うクラスになってしまって
そこから理由もわからずその子に拒絶されたことが嫌だったような気もする、、、
自分から話しかけなければ何かされることもなかったし
クラスも違うんだし、学校に行きたくない理由にはならない気もする。

行きたくない理由は考えてもわからないくらいだけど
学校に行かないと親をがっかりさせるんだなとか
先生や友達に迷惑をかけるんだなってことはしっかりと刻み込まれた。

ここも曖昧なんだけれど
おそらく進級とクラス替えがきっかけでちゃんと毎日登校するようになったんだと思う。
そこからは大学卒業までほぼ皆勤賞だった。
熱があっても休まなかった。

親の困った顔を見たくないから
周りの人に迷惑をかけるから
休むことは悪いことだから

そんなことを続けているうちに、休むことができなくなったような気がする。

行きたくない時は行きたくないと言えていた自分が
いつの間にか行きたくなくても絶対にいかないといけないという思考に囚われるようになっていた。
自分は他人流されやすい方だと思うんだけど、
それでも休んでいいよっていう優しさを素直に受け取れないくらいには
自分の中で譲れない観念になっていた。

そう考えたら
自分って本当は意思強いじゃん!

これは成長の過程で自分にとって間違った観念を作り上げてしまっただけで
自分が楽に生きられるための観念に書き換えることができたら
他人になんと言われてもぶれない生き方ができる!




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