見出し画像

【生きるって、なんじゃらほい】

う~ん、久しぶりの記事のタイトルが
コレ(上記)になるとは・・・思ってなかった。
ついでに(って言うと失礼かな?)
見出し画像は『ホ・オポノポノ』
の言葉・・・以前、どなたからか教えてもらって知ってたけど、この画像を使わせて頂く事も予想外だ・・・m(_ _)m
なんだけど、最近、私の周囲で起こっている出来事を現すと、この様になりました。

今日、車で薬局へ行った(他にも用事があって)、自宅から50分ぐらいの所。
買い物を終えて車のドアに手を掛けると・・・
『いた!青ガエルくん!』
以前、記事にも書いた事あるけど
その時には(車の窓からハンドルに跳び移ったヤツ)ティッシュにくるんで近隣の図書館の土の上に落とした。
ティッシュは持ち帰りました
が・・・今日、私は、薬局の駐車場(アスファルト上:暑いよね絶対)の上に
人差し指で触ってポテッと落として、
済ました顔で家まで帰って来た。
「ああするしかなかったんよ、だって、この間、図書館で落とした時、図書館員さんにジロッて見られたもん。
不審者扱いされたら困るじゃん。」
と自分に言い聞かせる・・・けど
“後ろめたい”
で、『後ろめたい』繋がりのある数日前の出来事を思い出してしまった。
現在、私の父は既に他界しているが、
母はご存命中。
80代後半で、自分本位に磨きが掛かり
ちょっとしたボケも交じった上に、
他人の話には耳を貸そうとしない&
その代わり他人の噂話やゴシップは
大好き・・・ときている。
私は最近(滅多にないけど)
母と話す時には、何度も話の腰を折り
要点を思い出す様に促す術を身に付けた。
実は、その母の姉二人もご存命中なのだが、その叔母二人とも母と似た様なタイプに輪を掛けてボケが進行中・・・
にも関わらず、どちらも
『一人で暮らしている』
我が母も。
先日、もう90代後半の年が上の方の叔母が転けた時に腕を6針縫ったらしく、
(実は、介護施設の入居待ち:数ヶ月以内に入るかも)
お見舞いがてら(もう会えなくなるかもと思い)訪ねて行った。
その時、母も一緒に居たのだけれど
母が、
「ほんとは今月、叔母ちゃん入居出来そうやったんやけど、今入居してて亡くなりそうな人が元気になって持ち直したけん入れんなったんよ。」
と言いながら私に片目を閉じてクシャンとした顔をした・・・
昔から、人の不幸を面白おかしく言う癖のある母&叔母たち。
私は、以前には一緒になって笑ったりした事もあった(やんなっちゃう)
けど、自分達の事(境遇)についてどう思ってるんだろう?
って不思議な気持ちになった。
叔母たち二人とも息子(私より年上)
はいるけど娘はいない。
6針縫った叔母は、昼間は介護施設にお世話になったり、母や従兄弟が訪ねて行くけど夜は一人で、カメラが見張り番。
もう一人の叔母は、やはり介護施設(デイサービスと思う)を利用してるけど三人の中でも一番ボケが進んでて、
ナント、従兄弟が週末泊まり掛け(片道二時間半は掛かるんじゃないかな)で
行って面倒を看ているそうだ・・・月曜日から土曜日まで仕事してるのに。

“揺りかごから墓場まで”

以前っていうか、昔、私は
『赤ちゃんは誰かが面倒を看なくては生きられない。それと同時に
年をとって面倒が掛かる様になったら
面倒を看てもらった人が、そのお返しに面倒を引き受けるのが当然』
と思い込んでいた。
でも、昔と暮らし方が変わったように
“年をとった人の生き方”
も変わっていくのね・・・

『さて、私はどうしよう?』
どうなるんだろう。
母が言っていた
『生き返って元気になってしもうたんじゃと~ガハハ』
みたいな感じで生きて行くのが人生なのか?
私は、人の生死について深刻に考え過ぎる所があるのか?
ちょっと、わからなくなっちゃって
いるのです。
やっぱ、あれかな?
時間と共にわかっていく事なのかな~
う~ん。
他人の不幸を面白がる人には成りたくないけど、物事をもっと広い心で
受け止めれる様になれれば
いいなあ、とは思う。
いや、受け流すのか?
う~ん。
『もっと、気楽に生きていこう』
って誰かに言われたような気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?