年収の額では、人間の価値は決まらない

近年、テレビ番組では、芸能人がみずからの年収を
公開して、その人の凄さを表すみたいな企画が
あるよね。


年収の金額が、まるで、マンガ『ドラゴン
ボール』のスカウターのように、
数値が相手の強さを表す
みたいにね。


たしかに年収は、世界中で使われている
便利な物差しだから、その数字が相手の
レベルを表してるみたいに感じられる
かもしれない。


それだけに年収が低いと、周りから、

「役に立たない人」

と、評価されている感じが
してしまうだろうね。


でも周りの人たちは、そこまで『年収』と
『君』を、イコールでは見ていない
はずなんだ。


『ラーメン』と『アイスクリーム』は、
両方とも、みんな好きだよね。


1つ想像して欲しいんだ。


アイスクリームに人格があったとする。


そして、そのアイスクリームが、ある日、
泣いてるんだよ。


「どうしたの?」聞くと、


 「僕の売り上げはラーメンに負けた! 
  僕は年間の売り上げが約5千億円なのに、
  ラーメンは、約6千億円なんだよ。 
  だから、僕なんて必要無いんだ!」

と嘆いていたとするよね。


もし君が、『アイスクリーム』の友人だと
したら、どうやって声をかけてあげる?


おそらく、

 「そんな事で落ち込むなよ。 
  私はアイスクリーム大好き! 
  ラーメンと比べる意味なんてないよ! 
  そんなふうに考えるのはおかしいよ」

と慰めるよね。


ここまで極端なら誰でもすぐわかるよね。


でも僕らは、同じ人間同士と認識すると、
つい、『年収』という1つの物差しだけで、
人間の価値を図ろうとしてしまうんだ。


でも実際は、さっきの『アイスクリーム』と『ラーメン』の例のように、
『君』と『他人』は、『アイスクリーム』と『ラーメン』くらい、
別物なんだ。


それぞれの良さがまったく違うのに、
年収だけで比べるのは馬鹿げていると思う。


アイスクリームはアイスクリームの
良さがある。


それと同じように、君の良さは誰とも
比べられない、かけがえの無い存在
だと心から思っているんだ


だから年収ごときで、自分の価値を決めて
しまうのは、本当に意味が無い事だと
思っているよ。

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