身分制度がある、不自由な時代の方が幸せに生きられた

江戸時代は、日本も身分制度ってあったよね。

侍が一番エラくて、その下に農民と商人がいたよね。

当時は例外を除いて、農民とか商人が侍になる事はできなかった。

生まれた家柄で、就ける仕事が制限されていたって事だよね。

これって、今の日本では信じられないよね。

「サラリーマンの家庭で生まれた子供は、医者にはなれません」

って、法律で決まっているようなものだもんね。

おまけに当時は、結婚も同じ身分同士でないと、できなかったらしい。

今だと考えられないほどの人権侵害だよね。

そうした体制は明治時代に改められて、みんなが平等になったよね。

そして、誰でもどんな仕事につけるし、誰でも成功者になれるという、
希望とチャンスにあふれる時代になった。


この変化って良い事ばかりに見えるけど、
実際は副作用もあると思うんだ。


身分制度がある時代であれば、農民は大体、同じような暮らしぶりだった。


だから元々、嫉妬というもの自体、起きにくい環境だったと思うんだ。

「オラは農民なんだから、お侍様にはなれない。 
    畑、耕していればええだ」

と,思っていたんじゃないかな?



銅像で有名な二宮金次郎っているよね。
あの薪を背負って本読んでる人。

あれは農民である二宮金次郎が、薪を運びながら勉強しているんだよね。

なので今は、『勤勉の象徴』として有名だよね。


今の僕らから見れば、

「そこまで勉強しなくても良いじゃないか」
「勉強なら家でやれば良いじゃないか」

と、思うよね。


でも当時は、家で勉強していると怒られたらしいよ。

「農民が勉強して何になる! そんな暇があれば畑を耕せ!」

とね。


当時は、農民の家に生まれれば、農民のままなので、
「勉強は無駄!」と思われていたらしいんだ。


冗談抜きに、『勉強する』という事は、今で言うところの、

「いつまでもゲームやってんじゃねぇ!」

と、子供が怒られるのと同じ感覚だったらしいよ。


つまり江戸時代は、

『世襲によって、受け継がれた身分を生きるしかない』

という、不自由さはあったけど、みんな似たような生活だったので、
幸福度は、それなりに高かったかもしれない。



では、このチャンスがあふれる、『今の時代』はどうかな?


全員にチャンスがあると言っても、全員が希望どおりにはならないよね。

「試験に落ちた……」
「隣の人はうまくいったのに、私はうまくいかなかった……」

という結果の差に悩んだり、嫉妬したりという事が増えたと思うんだ。


特に現代は、インターネットの発達で、ユーチューブやブログなど、
個人でも情報発信が世界にできるようになった。


結果、20年前より、普通の人が短期間でスターになるチャンスが増えた。

ただ、チャンスが増えたからといって、それに比例してスターが
増えたというわけではない。


つまり今の時代は、

『挑戦するのは自由。 しかし、良い結果が出る保証は無い』

という環境なんだよね。



それにより僕らは、他人がうまくいったかを過度に気にしてしまう。

つまり、他人との比較を頻繁にしてしまう事で、
幸福度は昔よりも下がった可能性もある。


つい昨日まで、「私と同じようなレベルの人」と思っていた人が、
あれよあれよという間にスターになると、自分が蹴落とされたような、
みじめな気持ちに感じてしまうんだろうね。


そうすると皮肉にも、『自由が、不幸や嫉妬を拡大させている』と、
言えるかもしれない。


だからといって、

「身分制度を復活させるべきだ!」

とは、僕も思わない。


やっぱり、自由でチャンスが多い方が良いよね。


こういう時代に大事なのは、チャンスを生かせなかった事に、
ショックを受けない事。

「挑戦させてもらえるだけでも、ありがたかったな」
「次は違う方法でチャレンジしよう」

という感じで、挫折を気楽に受け止めるメンタリティーが大事だと思う。


なんたって今の僕らは、「挫折した」といっても、生命を維持するのに
必要な、衣食住にまで困る人は、まだまだ少ないのだから。

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