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から揚げにレモンは必須?

やぁ。まったく君は…。
いつも人の夜ご飯時に来てくれるね。
なにかセンサーでも働いているのかい?

まあ確かにかなり遅い夜ご飯だけど。
でもいつも来てくれてありがとうございます。
ん?なにを食べていたって?

今日はなにかボリュームのあるものが
食べたくてね。から揚げだよ。

そこのスーパーの惣菜だよ。
えっ?そのレモンはかけないのかって?
かけたほうが美味しさが更にアップする
からかけたほうがいいです?

ははあ。きみはかける派なんだね。
もしかして、飲み会とかでから揚げでたら
真っ先にレモンかけるんじゃない?
その顔は図星だね!よし。

今日はこんな話をしようか。

自分の当たり前は人の当たり前にならない

さて。人は生まれてからそれぞれ育ってきた環境、これまでに見聞きしたこと、体験したことにより自分のなかの価値観などが作られていくよね。

例えばそう、今日の君みたいに「から揚げにレモンをかけたら更に美味しくなるから、かけるべき」という人がいる。

それは実際に食べて「美味しい!」と思ったからそうしているわけだよね。

だけど、同じ様に今までの人生の中で「レモンをかけられたから揚げ」を食べて「ちょっとイマイチ…」という感想を持った人もいるだろうね。

巡りめぐってそんな真逆の価値観の二人が出会って居酒屋で夜ご飯を食べるようになった。
「なにたべる?」
「けっこうお腹すいてるからガッツリしたの」
「よしじゃあ」

そこでから揚げの登場だ。

二回目の登場(笑)

そこでレモンかけるさんはおもむろに
お皿にあるレモンを手に取る。
「美味しそうだね」なんて言いながら
軽快にレモンをから揚げにかけていく。

それを見たnotレモンさん、固まる。
「えっ、なんで?」
から揚げをほおばりながら、レモンかけるは
首をかしげる。

「なんでって、なにが?」
「どうしてレモンをかけたんだよ」

そこからはご想像の通り。
かけるかけないによる、から揚げへの
味の影響についての討論が勃発される。

と、から揚げだったらまだ平和に
終わるパターンもあるかもしれないね。

ものさしは人それぞれ

だけど、例えば仕事で嫌なことがあって
辞めたことを誰かに話したとするね。

そんなとき。

「えっ、そんなんで辞めたの?ちょっとそれは甘えだよ。みんな同じだよ。嫌なことあっても頑張るのが社会人としての基礎だろ」

どうだろうか。
確かに一理ある。でもその人にとっては
「そんなこと」でも辞めた人にとっては
「辞めるくらい辛いこと」だったのだ。

例えばこんな場面。
こどもが不登校。はっきりした原因はわからないけど若干ひきこもり気味である。

友達とのランチでそのことをなんとなく
そのことを話した。すると

「えー。そうなんだ。でも普通そのまま休ませないよー。こどもにも良くないと思うよ」

学校には当然通わせるべき。通うもの。
行かないと将来だめになる…。

悲しいかな。まだそういう考えが多い。
通っても通わなくても、それぞれの苦労は
あるわけで、通えば絶対的に安心安全。

となぜ言いきれるのか?
自分と同じルートを通ってるからなのかな。

言えばキリがないけど、自分が通ってきたことや価値観がまるごと「普通」と思うのは危険だなと感じるね。

さて、ちょっとここで私のことを話そう。

べき人間だった私の気付き

私はがっちがちの型にはまった人間だったんだ。(手放すようにはなったけど、まだまだはまりがち)

「普通」というワードを頻繁に使っては
自分の考えや価値観を相手に押し付けていた
要注意思考人物でね…。

つまりは相手に期待するわけだよ。
だけど期待と違った反応をされると
「どうして?」と落ち込んだりした。

そんな日々を過ごしていたとき、
この本を読んで、ハッとした。

ここでちょっと、どんなお話なのか
軽く触れておくね。

縁切り神社が屋上に奉られている少し変わったマンションに住んでいる統理と百音。

二人は血の繋がりがない親子。

ある事情で一緒に住むことになったのだが
自分のものさしであれこれ言う住人たち。

そのものさしは統理たち親子のまわりにいる人達にもそれぞれ向けられて…? 

まだ統理と百音が一緒に住みはじめて、いまの生活に不安や疑問を感じた百音に対して伝えた統理の言葉が響いた。

ぼくと百音ちゃんは血がつながっていない。他にもたくさんの事情があって、これからぼくたちのことをいろいろ言う人がいるかもしれない。でもそれはその人たちの解釈であり、ぼくと百音ちゃんがなんであるかは、ぼくと百音ちゃんが決めればいい。

わたしの美しい庭 凪良ゆう

また後半でこんな文章にも心惹かれた。

できれば『ぼくたちは同じだから仲良くしよう』より、『ぼくたちは違うけど認め合おう』のほうを勧めたい。

わたしの美しい庭 凪良ゆう

違うことは当たり前なのに、そのことを私は気付かなくて自分はこうだから…と押し付けてました。

だけど冒頭のから揚げの、話をまた例えに使わせていただくと、頑なに押し付け、否定するのではなく、こういう食べ方もあるのだな。

試しにぱくり。
それで、だめならやっぱり…と箸を置けばいいし、レモンをすすめたほうだって意固地に「いや、絶対に…」なんて押し付けないで

「そっかー、苦手な味かあ」とそのまま認めればいいと、私は思う。
(あ、あと先に勝手にかけた場合はやんわりごめんねーと謝ろう)

自分の当たり前をみんなの当たり前と思わない。でも、お互いに押し付けあうんじゃなくて「そういう考えもあるんだねー」とそこから取り入れるかは自由だと思う。

「そうそう、そういう考えもあるんだよ。あなたはどう考えていたの?」と相手の話を聞くことだってできるわけだ。

なかなか難しい話を今日はしたね。かくいう私もまだまだなんだ(笑)でも自分だけの普通に囚われないよう意識はしている。

さて、から揚げまだあるけど君も食べるかい?はい。レモン。それでこの話を聞いて君はどう感じた?よかったらから揚げでも食べながら君の考えを聞かせてほしいな。

本日もここまでありがとうございました♪
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真夜中のカフェでした!




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