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旅よ 人生を洗え



スタインベックをもう一冊

ジョン・スタインベック

『ハツカネズミと人間』『怒りの葡萄』
『エデンの東』等の著書で知られる

アメリカのノーベル文学賞作家である

文壇の重鎮であり流行作家でもあった

彼は五十八歳の時に
愛犬チャーリーとともに
特注キャンピングカーで
アメリカ一周16,000キロの旅に出る

『チャーリーとの旅』

旅文学の傑作とも評される




『私がとても若く、ここではないどこかへ行きたいという衝動を抱えていた頃、大人たちは「そういう胸の疼きは大人になれば消えるもんだ」と請け合ってくれた。何年もたって大人になったら、「中年になれば治る」と言われた。中年にさしかかったら「もっと歳を重ねれば熱も冷める」となだめられた。しかし私も、今や五十八歳である。そろそろ耄碌して落ち着いたってよさそうなものだ。なのにちっとも熱は冷めない』


『要するに、私は成長してないのだ。つまるところ風来坊はずうっと風来坊なのだ。おそらく不治の病だろう。このことは人に教えるためではなく、自らに思い知らせるために書きとめておこう』


『私は大手トラックメーカーの本社に注文を出し、使用目的と必要条件を詳しく伝えた』

『やがて仕様書が届いた。頑丈・快速・快適な車で、荷台にはキャンピングカー用の住居スペース。設備にはダブルベッド・四口のコンロ・ヒーター・冷蔵庫・ブタンガス照明・ケミカルトイレ・収納庫・貯蔵庫・網戸付きの窓と揃い、まさに私の求めていたものだ』


『友人の間で我が旅の計画があれこれ皮肉られたもので、私は愛車を「ロシナンテ号」と名づけた。言わずと知れた、ドン・キホーテの愛馬の名である』


『そんなわけで、私はチャーリーというフランス紳士の老プードルを旅の仲間に伴った。彼はとても大きなプードルで、色はフランス語のブリュー、汚れていなければブルーである。彼はよき友であり旅の道連れであり、他の何より旅を好む』


『サグ・ハーバーの私の庭で、大きなオークの木々の下に完全装備のロシナンテ号が堂々と鎮座すると、ご近所からは面識のない人たちまで集まってきた。彼らの瞳の中には、ここから飛び出したい、どこでもいいから旅立ちたいという熱望があった。その後国じゅうで出会うことになった目つきだ。いつか旅に出たいとどれほど願っているか、彼らは無言のうちに語っていた。自由で束縛されず、解き放たれてあてもなくさすらいたいのだと。私が訪れた全ての州でそんな眼差しと出合ったし、切なる声を耳にした。ほとんど全てのアメリカ人が、さすらうことに飢えているのだ。十三歳ほどの小さな少年が毎日やって来た。彼は内気そうに離れたところに立ってロシナンテ号を見ていたが、やがてドアを覗き込むようになり、地面に伏せて頑丈なスプリングをじっと見ることさえあった。無口で平凡な幼い坊やだった。夜にまで来てロシナンテ号を見つめていた。一週間もすると彼はもう我慢できなくなった。内気さを突き破って言葉が口をついた。「もしも僕を連れてってくれるなら、もう、何だってします。料理もするし、皿もみんな洗うし、仕事は全部引き受けてお世話します」困ったことに、彼のような憧れは私にも覚えがあった。「そうできたらいいんだが」私は言った。「でも教育委員会も君のご両親も、他の人だってダメだって言うよ」「何でもします」彼は言った。きっと何でもしてくれただろう。私が彼を置いていってしまうまで諦めなかっただろう。私が生涯抱えていた夢を、彼も抱いているのだ。放浪病を治す手立てはない』



俺にもその少年の気持ちが痛いほど分かる

きりきりと痛むほどに


スタインベックが言うように
旅への憧憬は確かに不治の病だ

『放浪病を治す手立てはない』

Yes. I think so, too.

本の中でスタインベックは
実際のアメリカに出会い直すため旅へ出る

食い物や飲み物
道や町や街

知らない時代の知らない場所の旅行記は
読んでいて新鮮で本当に楽しい

熱いコーヒーにブランデーを注ぐなんてのも
日本ではちょっとない文化だし面白い


特に印象的だったのは南部
ニューオーリンズについて書かれた箇所だ


黒人差別に対する熱い思いが嬉しかった



しかし考えてみると
俺を放浪病にしたメインオフェンダーは
実はスタインベックではなく


この人なんじゃないかなとも思う




旅よ人生を洗え
道よ俺達に続け

ハイヨー ロシナンテ!









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