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善良?傲慢?

バイトに疲れすぎて、さらに眠くてイライラしていた今日。
親には、これからはじめるバイトの方にシフトしていったら?
と提案されました。
というのも、今の仕事内容と人間関係に飽きつつある。
仕事覚えてしまったら、効率をよくしていくブラッシュアップが
できると思うんですけど、それもある程度先が見えてきた。
職場にいる人は自主性がない人が多くてはっきりしないこととか
若い子にやらせとけばいいでしょ みたいな心の声がきこえてくる。
決して悪いわけではない 自分がうつってこと言ってないし、
ただの若い子として見られているからこそ、仕事がたくさん
やってくる。
ただの問題ない子として見られているのはうれしいけど、
やっぱりどこかでここから離れたい、もうじゅうぶんだ
と思っている自分がいる。

「傲慢と善良」をよんで、少し思ったこと。
自分も親の言いなりというか、いいように気を遣って生きてきた
かもしれない。
でも、それこそが自分の選択であって
ある場面では、親のいいなりになっておこう
また違う場面では、反抗してでも親と反対の選択をしよう
と行動してきた。
そのどちらもが、後から考えれば正解なのだ
今の自分を形作っているものや経験は、欠かせない。
だから、いい子ぶる善良さは時には必要
職場でいい顔するのだって「たてまえ」として必要な部分。
口に出さなくても、気持ちとして傲慢であることは、
人間としていたって自然なことであり、他の人にもそうであることを
許していれば、自分に傲慢さがあったっていい
と思う。
傲慢を指摘し、非難し合うより
それを許し合う世の中の方がいいと思う(ある程度という意味で)

大学時代は議論をたくさんしてきたので、言葉の意味や捉え方に
よって意見も異なってくるこの感覚を思い出しました。
どんな議題に対しても、基本○○という捉え方ならアリ という
立場を取っていました。
そして、きっと今も私は、そう。
何かを否定するのは、とても簡単だけど、
何かを許すのは難しい。
だからこそ、条件付きで許す という
妥協とも違う方法を編み出すのが好きなんです。
それで、必要のない呪縛から解き放たれる人がいたら幸せ。
自分が思っているよりもっと広い範囲の世界へ視野を向けられたら
それもまた幸せ。
否定しない ということは、そういうことに繋がると信じています。
肯定しない場合でも、否定はしたくない 
そう思っているきのこです。

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