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説明するのがめんどくさくて

NSCに入って一ヵ月が経った、「嵐天」というコンビのボケという吉本と嵐天の二台看板を背負ってると言っても過言ではない。

今日はそんな嵐天フミの過去に遡りどうしてお笑い芸人を志したのか、頑張ってノートに書き起こし誰かに聞かれたら、これ読んでと言えるくらいまとめたいと思う。

めちゃくちゃ遡って話すと産まれたときから母親が絵本の読み聞かせをしてくれたのが空想を妄想をするようになったきっかけである。絵本、アニメを保育園の頃から触れていたことで、勉強をしほと言われたとき僕は机に向かって空想を膨らませていた。
絵本で言うと日本昔ばなしをはじめイソップなど有名な絵本はほとんど母親に読んでもらったり図書館に行って自分で読んだりもしていた。
アニメは「ドラえもん」「トムとジェリー」が1番僕のパーソナル部分にあると思う。

上文でも触れた通り、勉強が大の苦手で保育園の年長からクモンやチャレンジ一年生をやらされるようになってから。机に向かうふりをしてキャラクターと自分との会話そこからフリートークを永遠としてはニヤニヤしていた。思春期を迎える頃には好きな子が僕と付き合ったらとか、仲良い友達にこの会話を振ったらこう返ってきてこうボケてと、フリートークここはかっこつけて即興漫才を繰り広げていた。

そして高校3年生のころショート漫才を友達と作りお披露目したら寮生内でややうけした。めちゃくちゃ気持ちよかった。。
しかし、大学進学を気に真面目に働いて社会の歯車としてぼんやり死ぬことを決意、ところが新型コロナウイルスの猛威がふるい、こんな人生で本当に後悔しないか自分に問いただした。その時にまず始めたのが短編小説の執筆である。
あれ?漫才ちゃうかいと思ったかたもいるかもしれないが、この短編小説で物語をすすめていくうちに面白要素を足していったところ、漫才が完成したのだ。

しかしまだ迷いもあったので宅建の勉強をしてもし落ちたら芸人を目指すつもりで本気で宅建の勉強をした。
答えはもちろん不合格、自分は勉強は向いてない創作の世界にこそ居場所があると勘違い?か確信かはさておき一大決心をしたのである。

まとめ
要するに昔から想像で会話するのが好きで、オリジナルの世界観を生きてきた男が、勉強に挫折しお笑いの世界に逃げてきたということである。

ここで花開かなかったら俺は終わりだと思いながら大喜利、漫談、漫才、平場、コント必死に頑張る僕をどうか温かい目で見守っといてほしい。
ちなみにお笑い芸人になることが少し恥ずかしくて一部の人しか知らない

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