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百襲姫が過ごした讃岐⑥ 考察『時期の推定』など

「孝霊天皇」(7代)の皇女である「倭迹迹日百襲姫命」について、ここまでの記事で調べてきました。

 この記事では、振り返りながら考察していきたいと思います。

<「倭迹迹日百襲姫命」が讃岐に来た時期は?>

【1】 田村神社の伝承では、「崇神天皇の御代に疫病で人々が苦しむのを救い、また武埴安彦の謀反を予知し未然に防ぐなど数々の勲功を上げた。その後、五十狭芹彦命と西海鎮定の命を奉じて讃岐國に下り農業殖産の開祖神となった。」とあります。

つまり、大和地方(奈良県)で活躍し実績を作った後に、讃岐にやってきたということになります。

【2】 水主神社の伝承では、「7才より黒田を出、8才にて水主宮内に着いた。成人まで住み、農業・水路・文化を興隆した。」とある。
 更に、「女王卑弥呼」の死後、再び争乱が繰り返され、この争乱を避けて、この地に来た。」ともあります。

つまり、幼少期に 讃岐になってきたということになります。そして、卑弥呼の死後ということは西暦250年頃となります。

どちらの可能性が高いでしょうか?

これまでの情報から推定した年代図

 ●【2】水主神社の伝承では「倭迹迹日百襲姫命」は西暦240年ごろに生まれ3世紀後半に活躍した人物ということとなります。

 その一方で、3世紀後半は 古墳の築造時期などから、垂仁天皇(11代)や その皇后である日葉酢媛の活動時期とも考えられています。

 そのため『【2】水主神社の伝承そのまま』では『孝霊天皇(7代)』の皇女であることも、『崇神天皇(10代)』の頃に活躍することにも無理があることになります。

 ●【1】田村神社の伝承では崇神天皇の代に活躍した後に讃岐国にやってきたとあります。

 この場合、上記の図のように、『孝霊天皇(7代)』の皇女であることも無理がありません。 
 しかしながら、「讃岐国に任命された」という伝承とは別に、記紀では「奈良の三輪山の祭祀を行い、そこで亡くなり、奈良の箸墓古墳に埋葬された」という伝承もあります。この内容を考えると「奈良での活躍後に、讃岐にやって来た」というのは不自然に思います。


 つまり、【1】も【2】もそのまま読むのは無理があると考えます。

 少し解釈を加え【2】水主神社の伝承にある『幼少期に戦乱を避けるため』というのが、『西暦250年ごろの卑弥呼の死後の混乱』でなく、『2世紀終わりの倭国大乱』とするのが自然のように思います。そして、「水主神社」で成人してから「田村神社」を訪れた。晩年は、その讃岐の実績から大和に呼び戻された。と考察します。


幼少期に『2世紀終わりの倭国大乱』を避けて讃岐にやって来た場合

  上の図のように「幼少期に『倭国大乱』の混乱を避け、讃岐国にやって来た。晩年、奈良にて活躍した」と考えます。

<「倭迹迹日百襲姫命」は孝霊天皇(7代)の皇女なのか?>

 父とされる「孝霊天皇(7代)」は、『伯耆国(鳥取県)』に遠征します。そこには、2人の吉備津彦命を戦力として率いています。

 そこでは「孝霊天皇(7代)」は現地妻を作っていました。奈良からやって来た正室「細姫」は嫉妬された伝承がありました。また『孝霊天皇(7代)」は遠征先の『伯耆国(鳥取県)』で無くなったという伝承もあります。
 そのため、「孝霊天皇(7代)」が晩年に「伯耆国」以外で、皇女の百襲姫を授かることは無理があります。

 つまり「倭国大乱」のころ幼少期を迎え、「崇神天皇(10代)」の頃に活躍し、「箸墓古墳に埋葬された」とすると、「倭迹迹日百襲姫命」は「孝霊天皇(7代)」の皇女ではないということになります。

  その場合の父親の有力候補は「孝元天皇(8代)」になります。「孝元天皇(8代)」には「倭迹迹姫命」という似た名前の皇女がいます。意図的かどうかわからないが、この名前が似ていることから、情報が誤って伝わったのではないか?と、考えます。


 もしくは別の仮定として、あくまで「孝霊天皇(7代)」の皇女であることにこだわり、「孝霊天皇(7代)」が奈良(黒田)で過ごした頃に産んだとすると以下のような感じになります。

 ただし、この図のような時期に生まれたとすると「倭迹迹日百襲姫命」「崇神天皇(10代)の頃に活躍した」ことも、「箸墓古墳に埋葬された」ということも、『事実でない』ということになります。

 個人的には、「「孝元天皇(8代)」の皇女とする説」を推したいです。
 ただし今後、さらに情報が増えると考察が変わっていく可能性は残ります。



 孝霊天皇とその子達の伝承は、このくらいとして、別の伝承を深掘りしていきたいと思います。

 次は、「孝元天皇(8代)が物部氏と連携」と行きたいところですが、北九州地方の情報なども入り複雑となるため、先に「垂仁天皇(11代)が丹波国と連携」を見ていきたいと思います。

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