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彦坐王の血統⑪神大根王 (美濃での伝承)

「彦坐王(日子坐王:ひこいます王)」の一族について伝承を調べています。この「彦坐王」は 開化天皇(9代)の皇子ですね。
 
 この記事では、彦坐王に関連した美濃(岐阜)での伝承を掘り下げたいと思います。

 美濃(岐阜)には 彦坐王の子である「神大根王」に関連した伝承が残っています。

ヒコイマスと、四人の妻

「神大根王」は、これまで紹介してきた「狭穂彦王」や「袁邪本王」「室毘古王」とは異母兄弟の関係になります。
 一方で崇神天皇(10代)の四道将軍として知られている「丹波道主」とは同母兄弟とされています。

<伊波乃西神社> 岐阜県 岐阜市岩田西

主祭神:日子坐王(ひこにますおう)
摂末社祭神: 八瓜入日子王(やつりいりひこのみこ)


御由緒
岐阜県神社庁HPより):
 祭神「日子坐王」は、人皇第九代「開化天皇」の皇子で、伊奈波神社(岐阜市)の祭神、丹波道主命の父君にあたる。

 古事記によれば、「崇神天皇の御代」によれば「日子坐王を、旦波の国につかわして、『玖賀耳の御笠』を殺させた」とある。
 (※クガミミとは国神の義で、旦波国に国神ミカサが住んでいた)

 王は、その後、勅命により東日本統治の大任をおび、美濃国各務郡岩田に下り、治山治水に着手され、農耕の業をすすめられ、殖産興業につくされた。

 八瓜入日子王(ヤツリイリヒコノミコ)は、日子坐王の皇子である。
神大根王(カムオオネノミコ)とも呼ばれている。父君のあとを継いで、この地方の開発に功が多かった。




岐阜県に祀られている関連する祭神


<日子坐命御墓> 伊波乃西神社のすぐ隣

 (※伊波乃西神社 旧鎮座地)


墓は自然石のようです。


<高坂神社> 岐阜県 本巣市金原

御祭神:
神大根王(かんおおねのおお)

・日子坐命(ひこにますみこと) 
 ※神大根王の父
・息永依比売(おきながよりめ) 
 ※神大根王の母
・美知能宇斯王(みちのうしおお)  
  ※神大根王の同母兄弟
・水穂之真若王(みずほのまわかおお)
  ※神大根王の同母兄弟
・水穂五百依比売(みずほいおよりひめ)
  ※神大根王の同母兄弟
・御井津比売(みいつひめ)   
  ※神大根王の同母兄弟

・山代之大筒木真若王
  ※神大根王の異母兄弟
・比古意須王(いりじおお)
  ※神大根王の異母兄弟
・伊理泥王
  ※神大根王の異母兄弟
表邪都比売(おもやつひめ)
  ※山代之大筒木真若王らの母?


「息長水依比売命」(おきながのみずよりひめ)の子たち

彦坐王(日子坐王)と「息長水依比売命」の間に生まれた子達:
丹波比古多多須美知能宇斯王(丹波道主命)
水之穂真若王(みずのほまわかのみこ)
神大根王(かむのおおねのみこ、八瓜入日子王)
水穂五百依比売(みずほのいおよりひめ)
御井津比売(みいつひめ)

「袁祁都比売命(おけつひめ) 」の子孫


御由緒(岐阜県神社庁HPより):
 景行天皇即位四年、神大根主の御女「兄比賣」「弟比賣」の二嬢子が本社を勧請の由 雖然、物換り年移りて原因不詳○古老の口碑現在ある而己本社は本國帳内有名の神社にて、○々分岐祢に正六位上高坂大明神金原村とあり。

 ⇒ この「高坂神社」は神大根主の娘たちが創建したようですね。



<この記事のまとめ&ちょっと考察>

 岐阜県には『「丹波国」を開拓した「彦坐王(日子坐王)」は「丹波国」を息子の「丹波道主」に託し、別の息子である「神大根王(八瓜入日子王)」と共に岐阜に移り住み開拓を進めた。そして、この岐阜の地で葬られた。』という伝承がありました。


 「彦坐王(日子坐王)」の一族は、畿内北部に広く勢力を拡大しているだけでなく、岐阜の辺りにも勢力を拡大していたことが伺えます。



 ※ちなみに「粟鹿神社」(兵庫県朝来市)にも「彦坐王(日子坐王)」の御陵があるという伝承が残っています。

 ※なお、息子の「丹波道主」は、陵神社(京都府京丹後市)にある「陵神社古墳群」「雲部車塚古墳」(兵庫県丹波篠山市)と埋葬地の候補が複数存在しています。


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