村屋坐彌冨都比賣神社<大物主の妃神を祀る>
『日本はどのように建国されたのでしょうか?』
日本の建国について理解を深めていけるように、いろいろと情報を集めています。「神武天皇(初代天皇)」の皇后である「媛蹈鞴五十鈴姫」の父は「橿原神宮や日本書紀では事代主」であり「大神神社の摂社や古事記では大物主」とされていました。そして、「媛蹈鞴五十鈴姫」の兄は「大神神社」の祭祀の関わる一族の祖でありました。
そこで「大物主」について少し情報を集めることとしました。
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「村屋坐彌冨都比賣神社」
(むらや にいます みふつひめ)
奈良県の田原本町にある神社で、工夫のある御朱印があったり、努力が伝わる神社です。
どこの駅からも遠いので、私は、近鉄「田原本」駅前からレンタルサイクルでアプローチしました。レンタルサイクルがある駅は限られるため、下調べが必要です。
主神:三穂津姫命(ミホツヒメ)
配祀神:大物主命(オオモノヌシノミコト)
大物主命は大神神社の祭神。三穂津姫命はその妃神(キサキカミ)。
⇒そして、三穂津姫命の方が主祭神として祀られています。
『日本書記』にて、大物主は『出雲の大国主(おおくにぬし)の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」である』と名乗られており、そのことから『大物主 = 大国主』とされることが多いのですが、私は、それぞれ別神と考えています。
【「大神神社」と「神坐日向神社」】のページでも書きましたが、諸説ある中で、私は『大物主 = 事代主』の説のほうがしっくり来ます。
図でまとめると、こんな感じです。
大物主の妃神とされる「三穂津姫」(出雲)の他に、大阪・茨木の溝咋神社では「玉櫛姫」(摂津)も妃神とされています。
【余談1】
なお、境内摂社には、事代主を祀る「久須々美神社」が別途あります。
別で祀られていた神社が、後に摂社として移設されてきたものと推察。
【余談2】
出雲の「美保神社」では、「三穂津姫」が「事代主」とともに祀られています。
美保神社HPでは『大物主 = 大国主』の説により、「事代主」は実母でない「三穂津姫」と共に祀られていることになっています。少し不自然さを感じます。
「三穂津姫」と「事代主」の関係性は諸説あり、娘である「三穂津姫」が、父の「事代主」を弔うために「美保」で祀ったという説もある。
諸説ありますね。
物部神社(境内摂社)
祭神:「御炊屋姫命、宇麻志摩遲命 配 物部守屋連」
宮司家は「物部守屋」の家系とのことでした。その物部氏の祖神を祀る摂社。
<ここからの学び>
「神武天皇(初代天皇)」の皇后である「媛蹈鞴五十鈴姫」の父である「大物主(=事代主)」を調べてみると、出雲系の「三穂津姫」を妃として祀っている神社が大和盆地にありました。
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