線路は続くよ何処までも

「線路は続くよどこまでも〜」誰もが幼少期に一度は聞いたことのある童謡だろう。そして日本という国はかつて程ではなくなったものの、世界でも有数の鉄道先進国である。
そんな日本の鉄道が最初に開業したのは新橋〜横浜(現在の汐留〜桜木町)の間今から約150年前のことだ。その8ヶ月後今度は大阪〜神戸が開業。そしてそこから日本の鉄道は全国に波及していったのであった。

1.「京都〜出雲市」
 『それにしても今日寒くないか?』
「そりゃあそうさ、昨日金閣寺に雪積もってたの見ただろ?」
底冷え激しい早朝の西大路を池本と榎田は自転車で円町駅へと漕ぎ進める。
2人の旅のスタートはいつも山陰線円町駅なのだ。
6:21発 各駅停車の京都行き。
少しずつ太陽が照らし始めた京都の街を眺めながら旅が始まった。とは言えものの10分で京都駅だ。ゆっくりと32番線に入線。
乗り換えは42分発の快速姫路行き。
山陽新幹線の始発駅新大阪までの乗車だ。
新大阪で朝ごはんを調達し新幹線に乗車する。
今回なぜ新大阪で乗り換えたと言うと新大阪から新幹線、岡山で「特急やくも」に乗り換えると半額になるという格安切符が存在していたからだ。購入した朝ごはんを食べているとあっという間に岡山だ。
9:00丁度発出雲市行きの特急やくもに乗り換えいざ山陰地方へ。
最後の国鉄型特急車両381系に揺られながら山陰へ向かう。
電車の中で行く場所の確認などをしていると何だかんだで松江に到着。
松江の街や宍道湖の景色を車窓から見ていると出雲市駅に到着だ。
一畑電車に乗り換え、目的地の出雲大社へ向かう。
出雲大社といえば古事記にも登場するほどの歴史がある日本でも随一の神社で、毎年10月になると全国の神様がこの出雲に集まることから出雲だけは「神在月」と言われているのだ。
早速参拝と行きたいところだがお昼をもう回っているということで腹ごしらえ。
名物の出雲そばを頂く。
これは割子そばと呼ばれ、上の器に入れた出汁を下の器に移して食べていくという面白い食べ方をする。味を継承していくとも言われるのだとか。
様々な薬味と共に香り豊かな蕎麦を平らげた2人はいざ大社を参拝する。
神様に日頃の感謝を述べつつこれからも見守ってもらえるようにお願いをする。心なしかシャキッとした気持ちにもなるものだ。
出雲大社の表参道を見学しつつ少し足を伸ばして、国鉄大社前駅の跡地へ。ここには国鉄時代に使用されていた駅舎がそのまま保存されており構内には蒸気機関車も保存されている。ここからいかに出雲参りが今以上に盛んであったことが伺うことができる。
一通りの見学を終え、2人はこの日の宿である玉造温泉へ向かう事にした。
出雲市に戻りそこで乗り換えて玉造温泉駅で下車。宿の送迎まで少し時間があったので近くのスーパーで地元のものを購入した。
地方に行く時の楽しみがこれだ。珍しい日本酒や地ビールの他その土地のお刺身やお菓子を手に入れて夜食で食べる。これが旅の醍醐味でもある。
買い物を終え駅に戻ると丁度バスも到着したところであった。
夜は地元の海鮮に舌鼓し、温泉で語り合った。
翌日は朝から松江市街を観光。
現存12天守に数えられ、国宝でもある松江城を訪れるなどして松江観光を楽しんだ。

帰りの電車の中で池本は思った。
昔から、どうしてこんなにも旅の終わりは哀しくなってしまうのだろう。また明日と西の空に沈んでいく太陽を列車に揺られながら見守っている。また明日が来ればまた太陽は東の空から昇る。まるで僕のことなんか知らないかのように。
『なあ、次どこ行こうか?』
「そうだな、金沢なんてどうだ?」
『おっ!良いやん、なら金沢で決まりな』

今日も鉄道は僕等を乗せて進んでいく。

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