放課後 音楽室 2人

 また音楽室にいた。
 先生、なんですか?
 いや、どうしてるのかなぁって。
 キモ。
 そう言わないでよ。
 キモいよそれ。
 えー。
 ・・・。
 困ったなぁ。
 ・・・。
 なにそれ。
 はは。
 面倒?
 ははは。
 笑ってんじゃねぇよ・・・。
 いやぁ、敵わないなぁってさぁ。
 もうどっかいってよ
 どんな曲を弾くの。
 え、
 どんな曲を弾くの。
 ・・・、流行りの曲、みんなが休み時間に歌ってるヤツ。
 うん。
 Mステで紹介されてるヤツとか、CMで流れてる曲とか。
 うんうん。
 あとSNSとかでよく聴く奴。
 そうなんだ。
 そう。
 先生、もうそういう流行りの曲とか分かんないや。聞いといてゴメン。
 ・・・別にいいよ。
 なんか弾いてたんだよね。邪魔してごめんね。
 別にいいって言ってんじゃん。うざいなぁ。
 ここ静かでいいね。
 いいでしょ。あんまり人来ないから落ち着くんだ。
 うん。
 ちょっとここで仕事していい?邪魔しないから。
 え、いいけど別に。
 ありがとう。職員室いるとさ、色々任されたりして面倒なんだ。
 あ~なんか分かるかも。先生頼んだら何でもやってくれそう。
 そう。断るのが下手なんだ。引き受けた仕事を机に積む度に書類の山にうんざりする。
 ・・・。
 はぁ・・・。昨日なんかは職員室の本棚の
 私もそれなの?
 え、
 私の所にも断れずに来たの。そういうふうに。
 違うけど。
 もう帰ってよ。心配されるのうざいんだよ。
 違うけど。
 帰ってよ・・・。
 違うけど。
 は?
 ここで仕事していい・・・?
 ・・・いいよ。
 ありがとう。
 チッ・・・。
 本当に職員室は疲れるんだ。
 ・・・うん。

 よし、一段落。・・・?
 ・・・なに?
 あんまり見られちゃいけない書類もあるんだけどなぁ。
 ・・・書いてあったことなんて覚えてないから。
 そう?じゃあ、まぁ、いいか。
 うん。
 ・・・。どんな曲聴いてるの?
 え?あ、えっと、Mステでやってた曲とか・・・
 違う違う、聴いてる曲。
 ・・・。んっ・・・。これ知ってる?
 え、どれ。・・・あ、聞いたことあるかも。
 ほんと?
 うん、友達に洋楽好きなのがいてさ。そいつがオススメしてた人だわ。
 おー。そのお友達さん、中々わかってますね。
 カッコいい曲だったなぁ。曲名が覚えてないんだけど。
 うーんどれだろう。この人の曲は全部メチャクチャカッコいいからなぁ・・・。
 そうなんだ。
 うん。曲の雰囲気とか、なんか、なんか!
 うーん。なんかこう、切ない響きの曲だった。短くて強めのピアノがジャンジャンって
 えっ!?それならこれかも!
 お!どうだろう。
 先生っ!
 なに?
 聞いて!ほらこれ!イヤホン!聞こ!
 え、でもいいの?イヤホン・・・
 ・・・ん、先生ならいい・・・。
 そう・・・じゃじゃ。
 ん・・・。
 ・・・。付けたよ。
 ん。じゃあ再生するね。
 ・・・あ、そうこの曲。
 ・・・そっかぁ、この曲かぁ・・・。
 ・・・。
 ・・・。
 ・・・うん、やっぱりカッコいい曲だなぁ。こういう、ジャズピアノ?好きだなぁ。
 ふーん。
 イヤホンありがとう。
 うん。あのさ、先生。さっきさ、私に聞いたじゃん?どんな曲弾くのって。
 うん、聞いた。
 実はさ・・・私が今練習してるの、丁度この曲なんだよね。
 え、マジ?こんなカッコいい曲弾けるの!?凄いじゃん。
 ん・・・。もし良かったらさ、一回聞いてくれません?
 え、いいの・・・?聞く聞く!
 うへへ。じゃ、頑張る・・・!

 今更だけど、放課後は友達と遊んだりしないの?
 えっ、今それ聞くの?
 いやぁ、別にいいんだけどね。休み時間とかは賑やかだから。
 うるさくて悪かったですね。
 ははは。
 みんないい子だよ。優しいし私と遊んでくれるし。メチャクチャ楽しいし。
 うん。
 でもね、でもね、ずっとお喋りしてるとちょっと疲れちゃうの。楽しいんだけどね。
 うん。
 放課後の音楽室ね、落ち着くの。
 わかる。
 ホントはね、皆が聞いてるような曲ね、あんまり聞いてないの。
 うん。
 で、放課後にこっそりピアノで好きな曲を練習してみたりしてたの。
 カッコよかったよ。オリジナルに負けてない。
 へへ、そんなこと無いって・・・
 ピアノ使いたいならこれからもあそこで練習したらいいんじゃないかな。
 え、いいの?
 はは。さぁ。
 は?
 バレたら、というか何か言われたら俺にいいって言われたって言いなよ。すぐに行って説明するからさ。
 本当?いいの?
 はは。
 ・・・。分かりました。・・・それなら!
 うん?
 「先生お願いしますからその時は説明お願いしてもよろしいでしょうか。」!
 あー。参ったなぁ・・・。また面倒が増えちゃったよ。
 ふふ。お願いしますね~先生~。
 じゃあ俺も「偶にでいいので僕に練習した曲を聞かせてくれると嬉しいです。」
 え~?うーん・・・。うん・・・わかった。
 本当!?ありがとう!
 意地悪教師っ!
 ははは。お互い様だろ!
 もー!!

 そろそろ暗くなってきたな。
 そうですね。もう帰ります。
 うん。その方がいい。
 ね、先生。
 なに?
 さっき聞いたアーティストの曲、他にも聞いて、みない?
 あ、確かに。聞く聞く!さっきの曲が入ってたアルバム聞いてくるよ。
 ほんとに!?やった!
 感想話したい。
 ふふ。
 今日は楽しかったなぁ。
 え、そ、そう・・・?
 うん、楽しかった。落ち着いて書類片して、カッコいい曲教えてもらって、カッコいい演奏聞けて、楽しかった。
 嬉し・・・。でも・・・
 え、でも?
 それだけだった!?
 え、うん・・・うーん?
 は!?信じらんない!もう!
 え、え!?
 先生のバーカ!
 えぇ!?俺、なんか・・・え?
 先生。
 え、なに。
 先生。
 どうしたの。
 あのね。また、お話ししてもいい?
 え、いいよ別に?相談ならいつでも聞くよ。
 本当?
 本当。
 ふふ。
 ・・・。
 ・・・。
 手、離して・・・?
 え!?あ!?はい。
 気を付けて帰りなね。
 はい・・・。
 それじゃあ、この辺で、さようなら。
 うん、先生さよなら。また明日の放課後、音楽室で。
 お?あぁ、うん。分かった。また明日な。
 うん。
 
 秋空茜さす放課後の廊下。
 風の微かな秋の香り。
 イチョウ、紅葉、
 「金木犀・・・」
 「先生ー!」
 振り返る。視線の先にいる女子生徒はこちらに大きく手を振っている。
 「どうしたー。忘れ物かー?」
 「ううん!呼んだだけー!」
 「はは。また明日。」
 「また明日ー!」
 「・・・うん」

 本当は職員室でちょっとした議題に挙がっていた。私の受け持つクラスの生徒だったから呼ばれたのは分かっていたけれど、正直これ以上仕事は増やしたくなかった。ただ、一度話を聞いてしまうとどうも投げ出す気になれない性格だから。悪癖の一種なんだと思う。
 あの生徒、まさに彼女のことだというのは薄々気付いていた。私自身あまり怒る気にもならなかったし、特別悪目立ちする程生徒当人たちの中で浮いている様にも感じなかったから。ただ、年を食ってベテラン風を持て余したじいさん達にはいい餌に違いないことも、分かってはいた。彼女の真っ白な細い首に巻かれた、繊細で上品なレース縁によってモノに彩られた、真っ黒なチョーカー。
 僕は正直、似合っていると思ったし、好みだった。寧ろ彼女は彼女自身をよく見ていて、”みんな”の中で自分が自分を見つける為の目印を、丁寧に慎重に、見つけたのだとすら思えた。彼女の首の上根元で揃えた髪の先が描く水平とチョーカーの作り出すストライプは彼女の息づかいに合わせて楽し気に揺らぐし、良く鞣された山羊革のような湿り気とシルクの艶を帯びた真っ白な首筋に飾られるべき最愛の”靴紐”。彼女は彼女を履いていたのではないか。
 僕の予想は意外に当たったのかもしれなかった。彼女が彼女という靴を脱いでくつろいでいるらしい場所に行ってみれば、そこにいたのは思いがけず可愛らしい一人の女の子だった。寂しさに慣れ楽しみに耽る少女の肩は小さく見えるのだと知った。
 「また、音楽室にいた。」
 ビクリと一度大きく総毛だったかと思うと、彼女は瞬時にスッと背筋を伸ばして一息短くため息を付いた。
 (失敗した・・・。)
 サイズがブカブカ気味の紺色のカーディガンを羽織った小柄な少女がピアノ椅子に座ったまま首をねじって振り返る。
 「先生、なんですか?」
 長めの睫毛を真上に反らせた切れ長の瞼に嵌め込まれた瞳が私を突き刺す。


 「あ!今日はもういる!」
 「はは。お先に失礼してるよ。」
 「いつもはもう少し経ってから来るのに。」
 「偶にはね。」
 「先生~、なんですか~?」
 「なに。」
 「そんなに私とお話したかったんですか~?」
 「先にいたらどんな反応するのかなって思ってさ。」
 「キモ~!」
 「そう言わないでよ。」
 「ふん!よっこいしょっと。」
 「・・・。」
 「せーんせ。」
 「なに?」
 「なんでもな~い。」
 「はは。困ったな。」
 「いっぱい困ってくだせぇ。」
 「・・・ピアスは開けないの?」
 「・・・え!?先生どしたの!?」
 「いや、可愛いチョーカー?付けてるからさ、ピアスとかも好きなのかなって。」
 「え~、似合うかな~。なんか痛そうだし、今のとこ付けることないかな~」
 「・・・そっか。昨日言ってたやつ、聞いたよ。」
 「どうだった!?」
 「良かったよ。ここに来て初めて聞くタイプの音楽だったけど、かっこよかった!」
 「へ~、中々いいじゃん?アレが良いなら他のももっとオススメできるな~。」
 「楽しみだな。」
 「うん。よっこいしょっと。じゃ、私しばらく練習するから。」
 「俺も仕事しなきゃ。」

 「せーんせ!」
 「なに?」
 「ありがとね。」
 「なにが?」
 「ピアノのこと。怒られてくれて。」
 「おかげで仕事が1つ片付いたよ。」
 「へへ。」
 「うん。」
 「それもだね。」
 「なに?」
 「なんでもない!」

 窓の外は気付けばすっかり暗くなっていた。日が落ちるのもだいぶ早くなった。仄暗い曇り空にぽぅっと灯る教室の白い電灯が照らす彼女の丸まった背中をひと時眺めてから、書類の山に手を付けた。

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