日常はありがたきもの
今日は死ぬほど苦しかった。
ツラくてツラくて、それでもツラくて…。
ろくにご飯を食べる気にすらなれなかった。
二度寝しては魘され、洗濯物を干して一眠りしては魘され、どうしちゃったんだろう?
いつもシンドイけど、今日は特にそう。
人間いつか死ぬんだよなぁ、とか思いながら。
同じ歳の人にしては、明日死ぬかもしれないという危機感や、それに伴う死生観を持っているつもり。
ある人はこう言った。
「いつ死んでも後悔ないように、日々全力で生きましょう。明日はわからないのだから。」
でも、それは生き急ぐことなんじゃないかなぁ?
苦しいとき、死を意識したとき、人間何かの目的に縋る。
生きる意味とは?苦しくなく楽しめることとは?とか。
でもね、目的を持って生きることは何かが違うんじゃないかなぁ?
もし自分がいなくなったら、全力で生きたって、目的を持って生きたって、何も残せないんだよ。
じゃあどうするかって?
簡単さ!
私は自分も相手も笑顔になる関係を求めてるんだ。
夕飯はラーメンを食べ過ぎてお腹がはち切れそう。
笑顔溢れるマスターと店内のお客さん。
別に私は何仕事したわけじゃない。
だけどその場にいて笑顔になれた、お客さんと会話が弾んで笑顔を届けられた。
最後に、「頑張れよ若者、負けるな!」と激励された。
明日あるかはわからない。いや明日は来るし、明日は明日の風が吹く。
でも少なくとも今日はいい日だ。
小さな幸せってあるよなぁって。
そんな一日。
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