明日はきっと、降水確率100%?

突然だが、俺は雨が好きだ。

梅雨時の今は、俺にとっては最高の季節といっても過言ではない。
このことを言うと、大概の人は変な顔をする。
濡れる。冷たい。風邪を引く。雨なんかのどこがいい?
彼らは、揃いも揃って同じようなことしか言わない。
何故彼らには、雨の尊さがわからないのだろう。
ぱらぱら降る小雨は、肌にしっとりと染み込んで、冷たくて気持ちがいい。
滝のような豪雨も、思い切って浴びてみると、心まで洗われるような不思議な気持ちになれる。
雨が止んだ後の、全て洗い流されて浄化された空気も、たまらなく好きだ。水気を多く含んだ、それでいて涼やかな空気。最高だ。
部屋の中から眺める雨もいい。しとしと降り続ける雨音は、なんだかとても幻想的で、気付かない内に頬が緩んでしまう。
そもそも雨が降らなくては、水が無くなって、干からびて死んでしまうではないか。だというのに、大概の人間はどうしてそんなに雨を嫌うのだろうか。
そんな人たちが、特に雨を嫌う日が明日にある。
明日は校外学習。近所の山に登って帰ってくるだけの、つまるところ、遠足みたいなものだ。高校生にもなってそんなことをするのもどうかと思うが、先生曰く、「ご近所版修学旅行だとでも思え」とのことらしい。そんな無茶な。
それはともかく、そのせいで、明日晴れますように、とみんなが祈っているような気がしてならない。
俺は、正直なところ、晴れっていうものが苦手だ。正確には、じりじり焼けるような、強烈な日差しがとてつもなく苦手。
多少日差しの弱い日ならまだしも、ぎらぎら光る夏の太陽の直下に長時間立ちっぱなし、とかした日には、ぶっ倒れる。そりゃあもう、容赦なくぶっ倒れる。誤解を恐れずに言うなら、もう、瀕死に近い。頭から水をぶっ掛けてもらって、やっと正気に戻れるほどだ。
出来れば、明日は小雨程度がぱらぱら降るぐらいがちょうどいい。俺としては、それを切に願う。
そんなことを思いながら鞄に明日の用意を詰め込んで、ついでにおやつを二、三本潜ませておく。おやつは禁止らしいが、そんなことを守る奴はいないだろう。みんなひっそり持ち込むに違いない。
明日の天気が不安だが、悩んだところで仕方ない。とりあえず、風呂にでも入って、憂いを洗い流すことにする。
着替えを持って風呂場に行き、服を脱ぎ、カツラを取って浴場に入る。
シャワーの蛇口を捻り、お湯がちょうどいい温度になったのを確認して、手にシャンプーを取り、頭頂部、髪とその中に埋もれた皿を洗い始める。全く、最近は雨が汚くなってきて、皿がよく汚れてしまって困る。どうでもいい話だが、体を頭から洗う派と足から洗う派の二派がいる中で、俺は頭派、もっと具体的に言うならば皿派だ。俺にとって、一日中むずがゆくて仕方ないのが、皿なのだ。足派の人には、真っ先に洗いたくなる気持ちを分かって欲しい。
頭を洗いながら、そんなことをとりとめも無く考えていると、ふと、こんなことが頭に浮かんだ。
(いっそのこと、てるてる坊主を逆さまにして吊るしておこうか)
風呂に入っているときの思考の回り方は、本当に繋がりが無くて妙なものだが、これはまずまず名案に思えた。
風呂を出たら早速てるてる坊主を作る。
ハンカチに綿を詰めて、顔を描く。
完成。結構簡単なもんだった。
よく見かけるてるてる坊主のように、窓際に吊るす。ただし、逆さまに。
腰に手を当て、ちょっと満足した気持ちになった。
「さて、これで明日はきっと、降水確率100%……かな?」
やっぱり若干の不安は抱えつつ、電気を消していそいそと布団に潜り込み、俺は眠りにつくのだった。

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