シェアハウス・ロック0709

【Live】『捕物帳』よりプライムビデオ

 まず、別の話から。【Live】4連チャンは、当『シェアハウス・ロック』史上、初である。たいした史でもないけど、初は初である。別の話はここまで。
 昔、こんな話をなんかで読んだことがある。
「日本の読書人は、若いころはカントだヘチマだ、ヘーゲルだヘッタクレだと言っているが、歳をとったら『捕物帳』を愛読する老人になってしまう」
 ヘチマとヘッタクレは書いてなかったと思うけど、大意はこういったもので、それを読んで若き日の私は、「これはいかん」と古本屋に走り、端本で『半七捕物帳』(岡本綺堂)を揃えたのである。私は計画性があるので、老後に備えたわけだ。端本は、全集などで欠けが相当にあるものや、一巻だけ迷子になったようなものなどを指し、非常に安く買えるものだった。
 捕物帳には、『銭形平次捕物控』(野村胡堂。これは「控」ね。「帳」でなく)、『人形佐七捕物帳』(横溝正史)などがあるが(他にもいっぱいある。有名どころでは、宮部みゆきさんも書いている。市場性があるんだろうなあ)、私が選んだ『半七捕物帳』はシャーロック・ホームズもの同様、「年譜」が書けると聞きかじっていたからである。たとえば『銭形平次捕物控』は「年譜」をつくっていくと、グチャグチャになってしまうそうだ。ようするに、それを読み、年譜をつくり、静かな余生を過ごそうと考えたわけである。淡い夢であった。
 シェアハウスに移住する直前まで、その端本は老後に備えて持っていたのだが、おばさんも『半七捕物帳』を持っていたので、私の分は捨てた。これもシェアハウスのメリットだが、言う割にはたいしたメリットではない。
 私は老人ではあるが、老成にはほど遠いので、いまのところ『半七捕物帳』は読まないで済んでいる。まだ、ヘチマにもヘッタクレにも興味があるし、老人の強い味方、プライムビデオがあるからである。私はテレビは見ないのだが、映画は見る。
 三日天下の間、何本か見たなかに、『マグニフィセント・セブン』があった。
 これは、『七人の侍』(黒澤明。1954年)が原作で、2016年のアメリカ映画。私が知っている俳優は、デンゼル・ワシントン、イーサン・ホーク、イ・ビョンホンの3人だけだった。残りの4人は知らない俳優さんである。
 黒澤版は、七人の個性が見せ所のひとつだが、『マグニフィセント・セブン』のほうは、個性よりも人種。ブラック・アメリカン、ネイティブ・アメリカン、メキシカン、アイリッシュ、中国人。これだけで5人。これに南軍だったアメリカ人でほぼカバーされてしまう。
 黒澤版では、あたりまえだが全員日本人だから個性を描け、『マグニフィセント・セブン』のほうは人種、その人物の背景などでほとんど個性は吸収されてしまうので、どことなく「粗い」印象が拭えない。また、黒澤版ではなんだかんだ言っても七人は「侍」で(三船敏郎演じた菊千代は百姓)、侍の矜持を持っているが、『マグニフィセント・セブン』のほうは単なる荒くれ者の集まりにしか見えない。まあ、荒くれ者の国だったんだから仕方ない。
 もうひとつ、黒澤版では、「悪いもん」はただ単に「野伏せり」であり、その出自等々がわからないので、どことなく神話的な雰囲気すらあるが、『マグニフィセント・セブン』のほうでは「悪いもん」はボーグという男であり、こいつは十二分に悪辣ではあるが、しょせん企業家に過ぎない。これも、薄っぺらな印象を与える原因になっている。
 ここらあたりに若干の不満が残るが、『マグニフィセント・セブン』は十分に及第点を付けられる映画である。
 いずれ、この2つの映画の中間点である『荒野の七人』(1960年)を、また見ようと思っている。

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