シェアハウス・ロック0712

【Live】右手と左手の関係

 まだまだ【Live】は続くぜ。ロックンローラーみたいですな。
 前回の、右手、左手で思い出したことがある。
 5年ほど前、オリジナル山下洋輔トリオ(山下洋輔(p), 中村誠一(as), 森山威男(ds))の『Dancing古事記』をいただいた。1969年7月の早稲田大学での録音で、全共闘が占拠しているなかでのライブである。ジャズ喫茶などではよく聞いたが、自分で持ってはいなかったので、聞いたのは40年ぶりだった。
 驚いたのは、山下洋輔の右手と左手がバラバラに動いていたことである。ラジオ体操じゃないんだから、あたりまえだろうと思わないでいただきたい。これから、縷々ご説明申しあげる。
 まず、ピアノ譜を思い出していただきたい。5線が2段になっていて、一番左で大ガッコみたいなので括られている。上の段にはト音記号が書かれていて、下の段にはヘ音記号が書かれている。大雑把に言えば、ヘ音記号のほうを左手が担当し、ト音記号のほうは右手が担当する。ここまでは、小学校の音楽の時間で習う。
 さて、この右手、左手が担当するメロディを声部という。つまり、またまた大雑把に言うが、右手の担当する声部、左手の担当する声部がある。原則としては、それぞれが独立しているが、たまたま連携する場合もある。「たまたま」だとめったにないように思われるかもしれないけれども、そうでもない。
 問題は、連携していない場合である。そういうときには、左手の担当する声部と右手の担当する声部が独立していなければならない。つまり、それぞれの声部が要求する音の動きを実現するためには、極端に言うと、右手と左手がそれぞれに声部の要求に従って、別々に動かなければならないのである。つまり、声部が要求していないのに、右手と左手が連動してはいけないのである。ところが、右手と左手はつながっているので、これはなかなか大変なことなのだ。
 このことをコンピュータで言えば、分散処理に近い。コンピュータでマルチタスクとか言ってるけど、あれはほとんど、疑似マルチタスクである。分周で処理している。CPUが2つ以上ないと、現実には本当のマルチタスクはできない。
 右手と左手が、それぞれの声部の要求に従って動いているというのがよくわかるのは、グレン・グールドと、マルタ・アルゲリッチの演奏である。彼らは脳だか、肩だか、どこかにサブCPUがあるんだろう。もちろん、曲によってであって、そういう要求のない曲もむろんある。
 山下洋輔の場合は、メロディはあってないようなものだから、わかりにくいのだが、やはりこれができていたんで、ビックリしたわけであった。
【追記】
 正司照枝さんが亡くなった。山下洋輔トリオは私ファンだったが、かしまし娘もトリオだし、ファンだった。冥福をお祈りする。

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