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ダライアス達の失敗3

  • (4)時間

営業との約束(コンバージョン)を果たさなければいけないと思い、
自分はダライアスⅢの素案を、Ⅱ終了後、即出したが、
議場にかける事も回覧されることもなく引き出しにしまわれた。
(D-REX後に置いて後に外伝となるのとは別物)

「何故?」という思いが駆け巡る。
今なら、ダライアスⅡのキャラクターを多分に流用して
新規ボスと各面の攻略性を変えれば、調整、チェック時間も
ほとんど必要ない…。
前回とスタンスを変え、キャラクター制作作業を先行させれば
疲れたプログラマー二人も充分な休養が取れる。

開発予算は大幅に削れ、コーナーはロム交換、あるいは基板交換
で安く済み、全ラウンドクリアで飽き始めるマニアの求める物も、
それなのでは無いか?

しかし、いくら説明してもダライアスソフトの開発は予算が
かかるという…。約束など、その場しのぎで売り逃げれば良いのか?

タイトーは、まだまだゲーム業界一強であった。
年間十数本のゲームプランニングを担える人材もあった。
その中からヒット一本が出れば、高価格商品ほど安泰になり
全ての失敗を帳消しに出来てしまうほどの莫大な利益が出る。
経営と言うより博打に思えた。

その傲りの様な感覚が
確立したコンセプトがあるからこそ可能なことであるという
大事な利点を忘れてしまう。

作り続けることで前を継承できるシリーズ物の正当な姿を。

期間を置けば置くほど、ほとんど最初からの作り直しに等しく
なってしまう。

(5)その後の開発員

1画面ダライアスの話は何度か上長からされたことがある。
だが私はそれを断っている。(とてもじゃないが採算に乗らない)
代わりの答えがメタルブラックだったとも言える。

その後の開発員たちが、今まで書いたようなことを頭の片隅に
でも描いたか?
ただ単に好き、あるいはマニアックで作ってしまったか?
は今も疑問に思っている。
それぞれ何人か顔は知っているし、相談を受けた者もいるが

ダライアスとは何であろう?と考えた者もいたそうだが
その問いにダライアスというタイトルを継ぐ必要があったか?
とも思う。

その労力を伴うなら新タイトルでよかったのでは?

今は、もうアーケードに展開する状況はなくなり、
タイトルだけを足跡として残す、偉大なゲーム。

しかしハードを変える度に、キャラもプログラムも新規に
作り直され、ビジュアル的のみ縛りとして
シルバーホークがプレイヤー、魚が敵である事だけで
シリーズを結んでる。

一つのゲーム性の完成度を追う、バージョンアップとして
のシリーズではダメだっただろうか?

マニアからは人気で、コーナーからは不信がられ、開発からは
予算負担で敬遠されたのがダライアスというゲーム。

この考えを持って、タイトル「ダライアス達の失敗」とし、次へ続く。

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