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第1夜【予兆】

当時、私は中野区方南町にある会社に勤めていた。
それまでフリースタジオZ5でプロゴルファー猿の仕事をメインにしていたのだが、その制作進行であり、又、私を本橋さんに引き合わせてくれた親友が、制作会社解雇となり気持ち的に続かなかったのだ。

制作進行といえばアニメ業界の中では弱者で、そんな中でも社会であるから、足の引っ張り合いやイジメが生まれる…そういう事に辟易していた。

新しく務めた会社は、固定給だった。
プロゴルファー猿で手にしていたギャラは月45万円だったので、丁度、その半分程度をもらっていた。(といってもタイトーに入って身に染みるのだが、アニメ会社に福利厚生はない、社保も年金も)
残業代も当然のごとく無いのだが、病欠の事を考えれば、それもよかったし、やがて演出をやらせてくれるという条件で飲んだ。

固定給であるから、その会社の仕事ノルマがある。
BUGってハニー、ギャラクシーハイスクールなどの原画であった。
だが、長らく培ったフリー時代の人間関係は維持したかった。
その為、月に30カット程度まで外部から私に話が来た時は、
方南町の会社にギャラを全て渡す事とし、勉強の為に、やらせてもらえるようにしていた。

当初、逆襲のシャアは、そんな仕事の一つだった。

日本サンライズの原画は(動画はある程度手伝った経験はあるが)初めてZZガンダムを、女性作画監督Kさんからの依頼で二本ほどやっていた。
(クレジットが仙波隆綱になっていないのは、制作の誤字)
その流れから「アムロとシャアの最後の話となる逆襲のシャア劇場版」を手伝ってくれとの依頼が来たのである。

電話だったか、制作進行に乗せられた車の中だったか、本来は一つの作画スタジオで全て作業するという予定だったが、それができなくなり、
「原画を手伝ってくれる人を探していた」との話を聞かされ、
上井草に打ち合わせに向かった。

打合せの席につくと、隣のテーブルに監督はいた。
何やら一人のアニメーターと入念なお話中のようで、
(後にこの方はUさんだったのかな?と思うが、そのシーンは一切修正に回って来ていない。たぶん配置的には「さらば宇宙戦艦ヤマト」の安彦さん的な扱いだったのだろうと解釈してる)

自分ら手伝い要員?は助監督との打ち合わせとなった。
担当シーンは、レズンとケーラの戦いからシャトルを超えたビームが来て、
νガンダムがはじめて戦場に登場してくる約30カット程度のシーンだった。

しかし、監督は手伝い要員に挨拶一つせず、打ち合わせに作画監督も同席し
ない…奇妙な異臭を、その時から感じていた。

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