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予測不能にもほどがある 33 イタリア編 (10 昭和的実録 海外ひとり旅日記

       



日記_035 Milanoが遺しているモノ

 

   26-(2  / july  1978  どれだけデカイんだ!


P.za del Duomo
Castello Sforzesco

ホテル4000L


Duomo自身
もおそらく100m×150m位の敷地に位置しているが、今居る広場同じ大きさ位、遮るものの無い広場で、合わせれば陸上競技場のトラック&フィールドを悠に超えるだろう。
そのへんにT字型にぶつかっているのが、 かの名高きVittorio Emanuele IIのGalleriaでこちらも同様の大きさがありそうだとすれば、教会一つが持つ空間を遥かに超えて、Milanoの街の心臓部に属するということになるのだろう。

(どれだけデカイんだ!)

だからMilanoの概ねの観光地はここを中心に15分も歩けば充分たどり着ける勘定にはなるのだ。

夜行列車で着いたばかりで、今だ太陽は中天にも達していない。

Piazzaを突き抜け、大通りらしきに出れば遥か突き当たりにレンガ風の3層の塔が小さく見える。
恐らくSforzaの城か、まずはMilano領主に訪問のご挨拶は趣旨だろう。

大通りの消失点から外れることのないその塔は、近づけば明らかに迫って来ているはずなのだが一向にたどり着ける感じがしないのは、一直線の坂の頂上に大屋根を見上げさせながら参拝させる善光寺を彷彿とさせないか。

(否、競技場紛いのP.za del Duomoを突き抜け、大通りを一連で来れば、この位の徒労感は付き纏う?)

その塔を中心に円形の見晴らし砦まで左右対象に拡がる城壁は、美しく頑強なオオワシの拡げる翼のようである。

城塞の中に入ると、16mmカメラで道化た騎士が独白しているシーンを懸命に回すアマチュアカメラマンらしきが面白そうだったが、構わずSforzaの Museumを目指したのだが、思いの外入場料が高く、城壁入口に刻印された”Ludovico Sforza detto Ilmoro””Francesco Sforza”(共に初期の領主)の名を発見しただけで満足することにした。

   27-(1  / july  ただいま 保全中 ?

晴れ
Pinacoteca Ambrosiana
Pinacoteca di Brera
Santa Maria delle Grazie
Museo Nazionale Scienza e Tecnologia Leonardo da Vinci
Museo Poldi Pezzoli

Youth Hostel
2600L


Pinacoteca Ambrosianaは本当に逸品揃い、特筆はRaffaelloの『Scuola di Ateneアテナイの学堂』の下書きデッサン(Vaticanが楽しみ)、そしてBotticelli
Pinacoteca di BreraではMantegna『cristo morto死せるキリスト』始め宗教画系の収集作を多く観ることができる。
Museo Nazionale Scienza e Tecnologia Leonardo da Vinci
内部は近代的な展示で科学博物館なのか、それでも Leonardoのデッサンやら右書きの覚書メモなどもあって興味深く、楽しい。

(んっ、暗い!)

此処こそSanta Maria delle Grazieの名高き食堂のはず、しかし内部は手探りを強要されるほどの闇に、幽かに、斑らに刷いたような壁がうっすらと見えるばかりである。

(まさかっ!)入場時 ”Under Conservation”(保全中?)らしき表記を見たような気もしたが、確かに手探りに泳ぐその指の遥か上方の壁にはJesusなのか ”最後の晩餐 ultima cena”なのか・・・、一向に判断に至らず、外光の中に戻って来た眩しそうな目をした数人と首を竦めるばかりであった。



 コラム_73  Salaiという少年



『Pinacoteca Ambrosiana』トンデモナイものを発見してしまった。

Leonardo da vinci ”Ritratto di musico音楽家の肖像” の隣に、「 Andrea Salaino」の名が・・・。

塚本邦雄のエッセイ小説が余りに甘美で、Leonardoの中に少年愛って有るんだと俺に思わせ始めた、その名・・・

Leonardoにとっては不肖の弟子でSalai(小悪魔)と呼ばせるほど嘘つきで盗みも働く少年ではあっても、フランスまでも引き連れていく程のお気に入りだったのだろう。

もう一人LeonardoはFrancesco Melziという名門家出の優雅で、才覚のある弟子もいたようだ。
この辺りも、巡り合わせの興味が離せない)

そんなSalaiの作品が堂々と展覧されている・・・

(あれっ ? 先日 Louvreで観た『San Giovanni Battista洗礼者聖ヨハネ』と同じ?
Leonardoの絵は背景が暗転していたような?
顔は似てるけど?

Leonardoが ” Salaiをモデルにしている”というのは自明のことのようだが、このSalaiの絵は、自分をモデルにした師匠の絵を、彼が再び模写したということ?

”Mona Lisa”のモデルは、FirenzeのLisa del Giocondoだとか、いやIsabella d'Este(マントヴァ侯妃 ルネッサンス期政治・文化に最も名声を馳せた女性)の妹 Beatrice d'Este(ここミラノのルドヴィーコ・スフォルツァ妃)だとか、果てはLeonardo自身だとか甚だかまびすしいが、実は目の前のSalaiことGian Giacomo Caprotti(実名)こそが、そのモデル説に自然な終止符を打つことができるのではないか。
 
”聖ヨハネ”と云い”モナリザ”と云い、果ては”ミラノの貴婦人の肖像””白貂を抱く貴婦人”までも、男女問わずLeonardoの描く肖像をイメージする時の原点はいつも同じなのではないか、あるいは彼の肖像に対する理想とする染み込んだ潜在意識が、自然・必然に各々の肖像を描かせているとしたら、

・・・一番身近なSaraiこそが・・・

Ambrosiana入館直前にPiazzaで遭ったParisで荷物を奪られたと言っていた(本当によく聴く話で耳を傾ける価値もないことだったのだが、そこでは無くて・・・)CaliforniaのHippie紛いの若者、そう云えば赤茶の巻毛髪”謎” を孕むかのように、寂しくなびいていたような・・・。

(完全にサスペンス脳に犯されている・・・)



追記:
Piazza della Scalaにある大きなLeonardoの彫像は観たのだが、四隅の4人が弟子たちの像で、中にSaraiが居たのを全く見過ごしてしまっていたとはぁぁ〜。



   27-(2  / july  遺しているモノとは


(”最後の晩餐 ultima cena”  保全中 騒動で)
何か気も収まらなかったところに、耳寄りな情報が。

MilanoにはPrivate Museumも少なくなく、「午後9時から開く」Museumもあるとか、

(それはお洒落!)

『Museo Poldi Pezzoli』

狭い入り口を入るなり、わざわざイーゼルでお出迎えしてくれた ”額縁の美女” に、思わず息を飲む。

”Botticelli?”Milanoでもいくつか観たし、あの繊細な描き味は出色だが、(これは違う!)

ネックレスや真珠の光もリアルで有りながら、温もりのある暖かい輝きを持っている。
髪も一本一本精密に描き分けながらも、うなじの生え際は烟るようでレースまでもが生きたかのように風に靡いている。
ややもすると陶器的な肌感(Botticelliを否定しているのではない)に成りがちなのだが、この絵の女性の頬にも首筋にも生々とした血の気を感じることができる。

ルネッサンス期に多くみられる微動だに許されることの無い厳格なる左横向きの定型肖像である、にも拘らず何でもない青い空と雲と云う現代に変わらぬ共感の背景にクギ付けされたことによって、永遠に繋がる”生命”となって、今、俺と面対している。

称賛を与えよ!

Piero del Pollaiolo ピエロ・デル・ポライオッロ

心が動かされるほどの”生命”に ”Ritratto di giovane donna””若い女性(貴婦人)の肖像”は(頂け無いタイトル)である。



 コラム_74 夜のGallery


P.za del Duomoのツーリストインフォメーションで、
“ 9 pm ? The gallery opens? ”
思わず聞き返してしまった。

Itaryは何処のbarでも、夕刻は昼間とは違う空気まとい出す。

昼間あんなに庶民的でざっくばらんだった同じ店が、多少時間を争うような気色張った掛け合い着飾った老若男女でごった返すのが、この時間だ。

確かに銀行は昼の12時には閉まるし、昼食のため一旦帰宅、帰校した子どもと会話を交わすのもイタリア流。

カウンターには小皿料理が並び、ワンショットしながら軽く腹ごしらいができるのも、barだ。
どうやら ” 大人の時間 ” が始まろうとしているらしい。

そのために、Galleryは9 pm に開場する必要(そうなれば公立では不可能で、私的な民間が運営することになる)があったのだ。

この時間からは、映画館、劇場然り、レストランでさえも、子どもはご法度なのである。

(本当に黄昏以降の街に、子どもを見ない。
仮に子連れのグループがいたとすれば、きっとおねだりの品定めのためのウィンドウショッピングに違いない。
閉店した街のウィンドウショッピング(店内に比しウィンドウだけはやけに明るい)こそ、二人だけを楽しむ ” 大人の時間 ” 散歩なのだろう)

しばし家族主義から離れ、またカサノヴァ的イタリア式恋愛が要請するでもない、”大人の時間”はこうして厳格にそして連綿と、社会に根ざしていっているようである。

幸運にも、心動かされる程の”生命の肖像”に巡り会うことができたのは、ここMilano(イタリアの)の土壌が育んだ ” 大人の時間 ”もたらしてくれたことなのだろう。


”大人の時間”を満喫し過ぎたか、Youth H.の門限に、既に1時間以上も遅れている。


 コラム_75  Milano| Itary Map_10


今記事は、Milanoで引き続き移動がなかったため、前回同様のMapとなります。



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