予測不能にもほどがある 35 イタリア編 (12 昭和的実録 海外ひとり旅日記
日記_037 50Lireに泣く
4 / Aug 1978 出発遅すぎ
(出発時刻遅すぎるかなの危惧もあったのだが)
Firenzeへの列車の午後便は、これ一本しか無かったので致し方なし。
この辺りFiume Po(ポー川)に沿った穀倉地帯Lombardia平原だから(のんびりと列車旅)と思っていたら、Firenzeは伊の尾根Appennini(アペニン山脈、見くびっていたよ)を越えなければならず、予想外のトンネルの数に出喰わすことになった。
先頭の列車座席を確保したのは良かったのだが、どう云うわけだかこの列車、ヘッドライトが無いっ。
暗黒と目映い光の交互は、結構クラクラッと頭にくる、運転手だって列車だからハンドル操作は不要だろうが、急な異常時などへの恐怖感ってないのか。(余計な心配などしてみる)
Firenzeには午後7時頃には着いたのだが、行きずりの日本人と1時間程話し込む。
(しばらく人と話す機会も少なかったから、話したくもなったのだろう)
そのためとは言わないが、今日の宿候補地図(話し込む前にTourist Infoには飛込んでいた)さえあればと高を括ったのが裏目に出たか、宿探しに歩けども寄れども、満員あるいはバカ高い宿ばかりで、決定打がでない。
”Pensione”と看板があるのにゴッツイ扉のビクともせず、入ることすらできないのは、何なんだ。
しかも殆どのペンションは4階、5階・・・階高も高いし・・・大汗、息も絶え絶え。
横目にエレベータはあれど、10Lireの持ち合わせが無いッ。10Lireコインってこう云う時に必要だったんだ、などと今更感心しても既に遅し。
9時、10時と時は変われど、情況変わらず。
(マジ 死に物狂い・・)
一旦駅、振り出しに戻ってPizzaでも齧って、落ち着こう!
(そうだ、電話だ!電話作戦にシフト!)と閃いたは良かったが、今度はGettone(公衆電話用コイン)が無い!
コインを崩そうと思えど、このコイン不足のご時世で快く変えてくれそうな物好きはいない。
救う神が現われたぁッ、4・5人の男グループがGettone1枚と50Lireコイン(このコインでも公衆電話は掛けられることをこの時知った)2枚を、両替ではなく、呉れたのだ。
ヘナヘナっと腰が脱力し、男たちに向けた”Grazie!”も掠れ声にしかならず、却ってくるのは情けない自分への哀れみばかりだった。
(何が何でも、このコインたちを見殺しにはしない・・・)
祈るように公衆電話にしがみつき、正に3枚目のコインに再びの救いの神が降りたのだった・・・。
・・・再度の恐怖のGettone探しは免れ、Pensioneに転がり込んだ時は、既に12時を周っていた。
コラム_80 伊のPensione
(どうなることか)と蒼ざめたペンション探しも結果は大正解、結婚した息子の残した部屋だというシックなウッドの内装の本当に落ち着ける部屋である。
Signoria広場とSanta Maria del Fiore大聖堂の間の地区は、結構狭い道が入り組み、建物の影も深い、ここはルネッサンス期の中心街の外観を残す一角のpensioneである。
建物の陶板地番を頼りに、脇の真鍮製の集合インターフォンボタンを押しロックの外れる音さえ聞けば、頑強を思わせる木製の扉は開く。
アプローチ廊下の突き当りがEVで殆ど一人乗り、階数ボタンの脇にこれ見よがしなごついボックスは明らかなコイン入れ。
しかしBorognaでも経験済みなので、10LコインはGパンのポケットに準備済み、着床すれば既に居室と云うわけだ。
(住人はコイン無しでエレベータ使用できるらしい)
今日はMadamの推奨する Michelangeloの丘あたりを散策するか。
そう云えば近くのMonastero di San Marcoで、素敵なFra angelicoも見れるよ、とも言っていた。
5 / 6 / Aug 新しいFirenzeの予感
昨晩の絶体絶命を免れたからには(何処からこのFirenzeを攻略するか)、先ずは西の外れ、Pitti宮殿のベランダから見降ろす巨大な庭園を、右手に折れるとそこも十分に巨大なBoboli庭園から、しかしIsola Bellaで見た秀逸な不気味感には程遠く、ハズレ、点在するかなりのスタチュー群の中で、イチャモン付けられるようにベロ出してニタ付かれても(ヒトの欲望でも表現しているのか?)残念ながら意味が分からんので、反応のしようも無い。
(”西洋庭園”とは,バカデッカく、長〜いアップダウンが強烈で、脚を棒にするだけと心得るべきモノか?)
流石に疲労困憊(庭園内だけでも5・6km位は歩いている)、Pittiに戻ったら”Chagall”特別展にでくわし、そのまま入れてしまったのは(別に入場料1000Lire必要だったみたい)、口直しのファンタジー気分にはお誂えだったけど。
pensioneのMadamの推奨する深い林を抜ける散策路はかなり長くハードだが、そう云えば今日は日曜日人通りも閑散とし、第一真夏の炎天下、木陰に優るご馳走のある訳もなく、心浮き立ってくるというものだ。
(ひぇ〜、悪いモノに出くわした)
Piazzale Michelangeloの丘から遥かに見降ろすCattedrale di Santa Maria del Fioreのクーポラの景が、一陣の神風かと思わせる”Kenzo”のTシャツ群(paris辺りで仕込んだんだろう)でかき消された。
日本人観光バスの到来だった。
Firenzeを堪能していた俺の前で記念撮影が始まってしまったのだ。
一目散に追い立てられはしたものの、丘を廻り込みさえすればなんとか再びの静寂は戻ってくる。
砦の壁なんだろう、うねうねと連なった城砦に沿って歩けば、所々穿ったニッチ部を利用して、マリア像や花々が祀られていたりする。
(家や人の住む気配は見当たらないけど)
(糸杉が、Firenzeだなぁ)なんて、(広場にもならないちょっと膨らんだ道の真ん中の水飲み場で、教えてもらった蛇口の横穴を指で押さえれば、上の穴からピューッと水が吹きだし、喉を潤してくれる)なんて、まるで別世界の実相でしかなかっただろうことを、今新ためて体感している自分が、とても不思議で、現実とは信じ難い。
(わぁ、新しいFirenzeが見渡せるぜ)
(Installationなんだろうか)
まっ白な地平を思わせる水路(Arno川の表徴?)のような先が4分割されたピラミッド形状に連なり、それは恰も新たなFirenzeの地平を象っているようなぁ・・・。
夕暮れに染まったこのForte di Belvedereで今日の終着にしようと城砦を出れば(あれっ 昨日見覚えのある場所が・・・)、
そう、昨日は西側から、今日は東側から(と云うことはArno川以南のFirenzeは全て歩行踏破したってこと?)と丘を下れば、もうArno川畔Ponte Vecchio橋の袂、旅の若者で溢れるビュッフェスタイルのレストラン(ヨーロッパの旅人には有名な店?)で、些かの達成感を込めて、初めてのライスプディング。
(げっ、マズっ!)
7 / Aug 一見の価値あり Pisa
塩野七生さんへの電話で、明日のアポイントに快く応じてくれることにもなったので、少しFirenzeに腰を落ち着けようと思う。
Torre di Pisaは、何や彼や言っても、やっぱり”一見の価値あり”。
それ程、ヤバく、傾いているぜょ。
全世界の人が代わる代わるその傾きを堪えようと、記念撮影せずにはいられないその気持ち、イタイほど判るなぁ。(# 何の話ですか)
折からの強風に激しく吹き抜ける雲を背景に、尖塔を見上げただけで眩暈を感ずる。
螺旋階段のステップは、登る度に重心は片方に寄せられるため、踏面は片側が大きく磨耗している。
その抉りに負けて、登る人の重心は益々傾くことになり、登り辛いこと、この上ない。
しかも手摺もない!ポーチ部は6・70cmの幅もない、化粧アーチ柱が狭いスパンで意匠となってはいるが、そんなモノ登っているヒトには思考の外。
確か入り口にはこう書かれていた。
“We take no responsibility”(一切の責任は持ちません)
洗礼堂のモギリ(?)はナカナカであった。
見物客に”静粛”を促すと、やおら得意の喉を聴かせ始める、ここはローマ浴場跡の洗礼堂ドーム構造となっているための自慢の反響効果をお披露目しようと云う段取りなのだ、釣られて拍手喝采すれば、さらに再び響き渡る音を体感できる、と云う二重三重の趣向が施されている訳である。
広い芝生の敷地内は綺麗に整備され、もう一つの教会も規模が大きく、しかし何か整然とし過ぎて、(全ての建造物の大理石が立派過ぎて、新しく重厚さが無く見えてしまう)確かに”一見の価値”はあるけど、Pisaの街への拡がりを醸すべきIdentityとしては・・・どうなんだろう。
(余計な老婆心でした)
コラム_81 Milano| Itary Map_12
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