見出し画像

中学受験 底力をつける地理     「山地・川・平地」  関東地方

この問題集は「コアプラス」「メモリーチェック」に物足りない受験生のための問題集です。

  1. 「山地」は雨・雪を降らせたり、フェーン現象を起こしたり、その地の気候に大きな影響をおよぼします。江戸時代には建築用の木材、燃料の炭、和紙の原料となる木の産出地としても重要でした。

  2. 「川」は、侵食・運搬・堆積の作用によって、扇状地、三角州、平野を形成します。農業用水・生活用水・工業用水の供給元にもなります。江戸時代以前は舟運(水運)のかなめで、今の道路や鉄道の代わりを務めていました。

  3. 「平地」には平野と台地などがありますが、耕地や住宅地、工場用地などに利用しています。山間での平地は盆地になります。日本の平野は河川の作用でできた平野です。

以上を踏まえて、各地方別で重要性を考えに入れて作成したものです。五年生用ではないので歴史的項目も含まれます。

平地
関東平野:日本最大の関東平野は、大小の川が浸食・運搬・堆積を長年にわたって続けてできた平野です。荒川、渡良瀬川、利根川の大きな河川の堆積によりできたといえます。下流域は湿地が広がっていて江戸時代になって本格的に開発が始まりました。渡良瀬川、利根川は東京湾に流れ込んでいましたが、これを土地を開削して鬼怒川・小貝川とつなぎ銚子沖に流れるように工事を行いました。
九十九里平野:房総半島の九十九平野は海底が隆起してできた海岸平野です。2024年一月の能登半島で起きた地震では所によって4mも海底が隆起したとあります。
下総台地:この台地は元は海底であったものが何十万年もかけて隆起し、その上に火山灰が降り積もった関東ローム層でおおわれてできています。(海底であった証拠は貝の化石です)
秩父盆地:荒川の上流地域にあるこの盆地には石灰岩でできた武甲山がありますが、このことから海底であったことがわかります。我が国で最初に銅鉱石が見つかったのがこの盆地で、その銅で「和同開珎」が鋳造されました。

川と湖
利根川:この川は「坂東太郎」と呼ばれる暴れ川でした。利根川は洪水で流路が変わっています。地図を見ると「古利根川」と名のつく川があります。銚子に河口を持つ川は鬼怒川でした。江戸時代になってこの川とつなぐ工事が着手されました。これを川の付け替え工事と言います。利根川は江戸時代には水運で大いに利用されました。東北地方の物産を江戸に運ぶのに銚子の港で底の平たい川船に荷を乗せかえてさかのぼりました。利根川の下流域は標高が低く流れは緩やかでした。
荒川:甲武信ケ岳を源流とする荒川は秩父盆地を通り埼玉県のほぼ真ん中を南に流れ下流で一部東京都との県境になっています。東京湾にそそぎこむ流れは「隅田川」と呼ばれています。荒川も名前の通り荒れる川でした。江戸時代に荒川は入間川と合流する形で開削しました。それでも東京では浸水の被害がなくなることはなく、昭和になって新しい水路を作りました。それが荒川放水路です。
渡良瀬川:渡良瀬川も現在利根川に合流していますが、大きな氾濫で何度か流路を変えています。東京湾に流れ込んでいた渡瀬川ですが、江戸時代になって工事を行なって利根川とつなげました。
以上、利根川、渡良瀬川、荒川の大きな河川が付け替えなどを行って関東平野の下流一帯が住みやすくなった歴史について述べました。

多摩川:この川の上流には小河内ダムが造られ奥多摩湖ができました。江戸時代には羽村から玉川上水という水道が江戸の町まで引かれ飲み水となりました。下流は神奈川県と東京都との境になっていて河口には羽田空港があります。
中禅寺湖は男体山が噴火してできたせきとめ湖です。標高が1200mと一番高いところにある湖となっています。
渡良瀬遊水地は、渡良瀬川と他の二つの川が合流する地点にあり洪水の起きやすい湿地帯でしたが二十世紀初めに遊水池が造られました。2012年にラムサール条約に登録されています
茨城県にある霞ヶ浦は面積が第二位の湖です。水深は12mと浅く、標高は0mとなっています。

山地
関東地方:中部地方の長野県・山梨県と関東地方をへだてるのは関東山地です。2千メートルを超える山がありますが、特色があるのが「甲武信ケ岳」です。名前のとおり甲斐国、武蔵国、信濃国の国境にあります。また、この川は千曲川、富士川、荒川の源流となっています。江戸時代の幕末になって生糸の輸出が始まりましたが、八王子から秩父、冨岡方面まで多くの地域で蚕の餌である桑を植え養蚕にはげんだ歴史があります。
越後山脈:越後山脈は夏は降水によって利根川をうるおします。冬は日本海側に降雪をもたらし、関東地方に乾いた気候をもたらしています。この山脈の関越トンネルなどがある一帯は、三国山脈と言われています。群馬県、新潟県、長野県にまたがっていますが、険しくて天候も厳しく昭和初期に鉄道のトンネルが開通するまでは越え難い山でした。それまでは東京(江戸)から新潟(越後)に行くのには、「軽井沢→長野盆地・信濃川沿い→新潟」のルートを通っていました。


関東地方の自然地誌問題集です。
基本的な問題と発展的な問題の二つからなっています。白地図もつけていますので苦手な人は塗ったりなぞったりして位置を確認してください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?