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「かわいい」に隠れていた思い込み

最近受けたコーチングで「自分のこと、かわいいって思ってる?」と、コーチに尋ねられる。言葉に詰まった。たしかに自分は「美人」か「かわいい」かどっちか、と言われたら「かわいい」の方が合っている気がするけど、ただかわいいかと聞かれると、「イエス」とも「ノー」とも言いきれない。この感覚、一体どこから来るのだろうと気になった。

たしか10年くらい前、初対面の方に「かわいくない!」とお叱りを受けたことがある。お褒めをいただいたのに、片っ端から私が「そんなことないです~」と謙遜し続けてしまったからだった。その当時は自己承認力もさることながら、とにかく自分のことが良く分かっていなかった。褒め言葉を素直に受け取る「かわいらしさ」がなかったなぁ、と今になって思う。あの頃よりは随分、自分を認める力も付いている。にもかかわらず「かわいい」がしっくり来ない。何なんだ?

さらにさかのぼって幼少期を思い出す。私には同じくらいの年頃のいとこがおり、色々な面で比べられてきた。勉強の成績、習い事、運動能力、そして一番は外見。身近な大人たちがフォローのつもりで「あなたは(〇〇ちゃんみたいに)美人じゃないけど、かわいいからそれでいいのよ」と言う。私の「かわいい」にくっついた違和感は、どうやらこの辺りにありそうだ。

「美人じゃないけど(以下略)」という大人たちの言葉を言い換えると、何かのコンクールで「金賞じゃないけど(銀でも銅でもなく)特別賞」もらった、みたいな感じかな、と思った。それまで必死に練習して、舞台で最高のパフォーマンスをした後に、一番もらうとがっかりするパターン。でもそもそも、私といとこは外見で競い合おうなんて思ってなかった。比べたがったのは大人たちだ。でもそんな大人たちの言葉に、私はすっかり振り回されてしまっていた。その結果、私にとっての「かわいい」は、「人から与えられる評価の一つで、美人よりも劣っていることを指すもの」、「人にかける褒め言葉であり、自分自身を形容するために存在しない言葉」に書き換わっていたみたいだ。違和感の原因はここだった…いやはや、思い込みの何と恐ろしいことか。

疑問が晴れたところで、改めて自分に問いかけてみる。「自分のこと、かわいいって思ってる?」答えはもちろん「イエス」だ。まだ少し慣れなくてモゾモゾしてしまう感覚もあるが、これも私らしさの一つなのだ、と認めることができ始めている。自分にしかない「かわいい」は、誰と比べるものでもない。あくまで私が自覚して、大切に自分の中で育てていけばいいし、これが今後、公私にわたってご縁ある方を癒したり、救ったり出来る要素になっていくと思う。ところで皆さん、自分のこと、かわいいって思ってますか?もし私のように「イエス」とすんなり言えなかった方、私、お役に立てると思いますよ。

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