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「何のため」の再考と、再構築

2回にわたる気学の無料講座を無事終えることができた。様々な感想と気付きをいただき、本当に有意義な時間であった。疲れもあったが、心地よい疲労感である。誰かに何かを伝えるという行為は、決して楽なものではない。でもその分、何かしら「伝わった」と分かると、本当に良かったと思える。

何のために気学を伝えるのか。それは、気学における「智慧」が、私の描く理想の世界の実現の一助になると考えたからだ。違いを尊重し、「面白い!」と互いに思える世界に、気学的なあり方は欠かせないと思っている。しかし、何千年も前の学びであるがゆえに、どう読み取るかは人それぞれ、という部分もある。全てを学ぼうとすれば、膨大な時間が必要だ。だとしたら「気学を教える」というスタンス自体、見直してもいいのではと考えるようになった。

無料講座で話しながら感じたことでもあるが、同じトピックや要素について話すときも、私自身の経験が深まり、感じ方が変わったことで、伝える内容は深みを増している気がする。学びたての頃には見向きもしなかったキーワードが、今の自分にはとてもしっくりと来たり、大切だと思っていたことの大切さに、新たな意味が加わったりしている。気学で使われる言葉には、普段目にしないキーワードも多くあり、中には「難しい」と感じた方もおられたようだ。難しいものを分かりやすく説明することはできるけれど、正直なところ、本当に全てを説明して、理解してもらわなければならないのだろうか…とも思っていた。気学を正確に、緻密に伝えることだけに囚われてしまうと、本来の「何のために」が見えなくなってしまう。そこで、講座そのもののコンセプトを一から見直し「自分らしく生きる」ための内容に作り変えることにした。

気学は私にとって、より良く生きるための手段であり、目的ではない。気学をこれから学ぶ人たちにとっても、そうあってほしいと願っている。講座の前半に気学を学ぶための「心構え」なるものを伝えているが、それ自体が「何のために気学を学ぶのか」を表す内容だったのだと、人に伝えてみて初めて気付いた。やってみなくては分からなかったな、という気持ちと、聞いてくださる方がいたから分かったことだな、という二つの思いがある。

どんな学びも、学ぶ人がいて初めて講座は成立する。来月、再構築した講座の初回を開催する。今回は初対面の方に対しても公開するので、ご縁の有無にかかわらず、ぜひご興味ある方にお越しいただきたい。これからどうしたらいいのか、自分を見失っている気がする、迷いの中にいる…そんなモヤモヤの解消に、気学のあり方を役立ててほしい。

講座の詳細はHPからどうぞ→https://rain-sound.jimdosite.com/セッション・講座/

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