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人生のタイミングと「聞く」ことについて

何事にも流れがあり、タイミングというものがある。状況は日々刻々変わっている。気学を学んだことで、そのことについて実感することが増えた。このことは、世の中の状況を読み取ることに限らず、自分自身の生き方や、何かを決めることなど、全てに当てはまるのだと思う。

ある時、友人の話を聞いていて、私の聞き方は、結果を出させようと話し手を急かさない分、自分自身を深く見つめられてすっきりした、というフィードバックをもらったことがある。友人のよく関わっている仲間が、ビジネスにおける聞き方に慣れていたこともあり、どんなに一所懸命聞いてもらったとしても、それまでは話し手として消化不良を起こしていたのだそうだ。たしかに、人生の岐路に立っている人に対してと、30分で全員の足並みが揃わなければ次の指示が出せない会議においてでは、聞き方は全く異なる。友人は結論を急ぐことよりも、自分自身で現状を整理しながら、納得してどうしたいかを決めようとするところがある。私はそういう性格を知ったうえで聞き手に回っていた、ということもあるが、そもそも聞くということは、その人の「命」を聞かせていただくことだと、聞くトレーニングの中で私自身教わってきている。友人の話から、深く聞くということは、話し手の人生のタイミングを尊重するということでもあるのか、と気付かされたのだった。

私たちは一人ひとり「いつかは必ず死ぬ」ということだけを絶対の事実として、今を生きている。与えられた人生をいかに生きていくのか、死に向かうまでのプロセスは人それぞれだ。何かを変えたり、それまで続けていたことをやめたり、逆に新しいことを始めたりすることには、全て私たち一人ひとりにとって最適のタイミングがある。目の前に分かれ道がある時、どちらの道を行くか、人によって決断にかかる時間はまちまちだ。背後から猛獣が追いかけてきて今にも食われそうな状況なら、即断しなければどちらを選んでも命を取られてしまうだろうが、小一時間考える余裕のある状況なら、立ち止まって考えても、休まず直感で進んでも、どちらでも構わないと思う。

一番大切なのは、どんな決断をしたとしても、それが自分の力でやったことだと納得できていること。他人からのアドバイスだとしても、「そうしよう」と決めたのは自分だ。聞き手も話し手も、それぞれ自分自身の意思が最も大切であり、互いの人生の決定権は自分自身の中にしかない。良き聞き手はたしかに、話し手の人生を変えることがある。しかし、それはあくまで話し手による決断であり、変化を起こすきっかけを作っただけにすぎない。「変わりたい」と思った時に良き聞き手と巡り合えたならば、それは話し手の力であり、話し手のタイミングなのである。そんな話し手に出会える聞き手であり続けようと、日々思っている。

※2020年8月の「聞きあう場」日程・9月の講座について、詳細・お問合せはHPまでどうぞ→https://rain-sound.jimdosite.com/

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