自分らしい「伝え方」として大切にしていること
講師として話すときに、私が大切にしていることがある。それは、話している内容が自分の見解なのか、誰かから教わったことなのかを分ける、ということだ。
気学は古く膨大な学びである。基本的にずっと昔の誰かが気付き、見出し、体系化した宇宙の法則だ。当然、私が自分で一から生み出せるようなものではない。だから、私が気学について話すときは、そうした古い学びのアーカイブのようなところにアクセスして、イタコのような感覚になっているか、直接教えを受けた先生の言葉であると前置きして伝えるか、自分自身の見解なのか、いずれかの状態である。講座中、いちいち全てに出典を付けていると本筋から逸れてしまうが、少なくとも先生からの言葉や、別の学びの場で得た知識については、自分のものではないという前置きをして話す。これら全てをあたかも自分の見解であるかのように話すことで、本来の気学が言わんとしてきた真理から離れてしまう気がするからだ。自分の人生に良い変化を与えてくれた学びとそれを伝えてくれた人に対しての、私に出来る最低限のリスペクトであり、伝える者として私なりに大事にしたい姿勢なのである。
「まなび」の語源は「まねび」、つまり、学ぶことは真似ることから始まっているので、私も様々なところから真似て今の姿があるし、真似ることを悪いことだとは思っていない。しかし、誰かから学んだことだという事実を置き去りにして、あたかも自分が最初から知っていたように語ることは、学びに出会う前の未熟だった自分も、学びながら成長してきたこれまでの自分も否定することになるのではないだろうか。創始者以外、誰もが最初は初心者である。「これは自分のものではない」と明言して伝えることは、それまでの自分の承認にもつながっていくような気がする。
世の中色々な学びがあり、教える人もたくさんいるけれど、教える側もかつては学ぶ側にいたということを忘れてはならないと私は思う。これまでの道のりを認めて初めて、人に何かを伝える者として、自分らしくいられる。そんな自分でい続けようと思う日々なのである。
※2020年11月の気学体験講座(オンライン)は、本日7日(土)16時~、11日(水)20時~、14日(土)14時~、以上の3回を予定しています。ご興味ある方、お待ちしています。個人セッションも受付中。詳細は「智慧の雨音」HPよりご確認ください→ https://rain-sound.jimdosite.com/
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